ついに実現した村八分のレコーディング・平田国二郎〔2/3〕
『チャー坊遺稿集』著者・柴田和志
『チャー坊遺稿集』著者・柴田和志
『チャー坊遺稿集』飛鳥新社
平成14年(2002)12月18日 初版発行
〔画像〕『チャー坊遺稿集』中表紙
ついに実現した村八分のレコーディング〔2/3〕 p353-359
平田国二郎
「ニューミュージック・マガジン」七三年七月号
親しい間柄の加藤和彦君から村八分の話が持ち込まれた。
加藤君は、京都時代からマネージャーの木村さんや、
チャー坊とは旧知の関係である。
彼も、村八分に惚れていた。
友人として、何とか彼等に陽の目を見させてやり、
そのサウンドを紹介したいと。
Iディレクターも村八分の噂は、あれこれ聞いてはいたが、
一度もサウンドには接していなかった。
話を聞くうちに、だんだん彼の心の中で、
レコード制作の夢がふくらんでいった。
十一月十一日に京都で村八分が久し振りにコンサートを開くという。
人の話だけでなくて、自分の耳で、自分の目で確かめたい――
そんなところだろう。
コンサートを聞いた。
期待通りの素晴らしいバンドだ。
「アンファン・テリブル」
というイメージが彼の心の中で広がっていく。
これは、今までに、日本にはなかったバンドだ。
彼は積極的に行動を開始した。
村八分側と何度か話し合いがもたれる。
交渉の途中、彼等がロンドンへ行きたがっていることを聞いた。
よし、いっそやるなら、
ロンドンでレコーディングしようじゃないか。
そして、レーベルも向うのレーベルで、さしづめ、
ハーヴェストかパープルか、これなら話は簡単だ。
プランは練られた。
しかし、一か月後、この話は暗礁にのりあげてしまうのだ。
彼の熱意にもかかわらず。
なぜなのか。
今度、このレポートを書くにあたって、
当のIディレクターに直接、取材してみたが、
口を濁して明解な答えが得られない。
方々で聞いてみた。
察するに、組織の壁ということであろう。
Iディレクターは前にも触れたように洋楽担当である。
その彼が日本のバンドを手がけるのは、
おかしいのではないか。
もし、それをやるのなら、
彼は邦楽担当のディレクターであるべきだ。
邦楽のセクションに移るべきだ。
彼にとってみれば、洋楽と邦楽では、
話の進め方、センスがまるで違う。
それに邦楽でやるとすれば向うのレーベルは使えなくなる。
計画のやり直しだ。
Iディレクターの仕事は村八分の仕事にタッチしながらも、
依然として洋楽のプロモーションの仕事は残っている。
また、これまでの実績から考えて
東芝の売上げの七割弱を占める洋楽部門から、
そう簡単に会社としてもはずす訳にいかない。
そして上もそんな有能な人材を、
そうたやすく手離さないというのが人情だろう。
大企業の組織というものは大体そんなものなのだ。
社外的な仕事が三だとすれば、
社内の仕事が七くらいのウエイトと考えていい。
まず、何よりも協調が要求される。
官僚など、その最たるものだ。
日本のレコード会社の上層部は、
ほとんどが営業・総務関係の出身者で占められている。
体質的には、全く一般の大企業のそれとは変わらないのだ。
そこで横紙破りをするとすれば、
相当な根まわしとキャリアと、実力がなければならない。
そう、今まで割とIディレクターに好意的に書いてきたが、
チャー坊との取材中、彼がひとことポツンとつぶやいた。
「結局、Iが力がなかったんや」と。
酷なようだけど、それは一面の真実だ。
無理が通れば道理がひっこむということも、難しいが、
やり方はあることはあるのだ。
話は振り出しにもどった。
東芝への橋わたしをした加藤君は、
話がポシャッたとこで、
責任を感じると同時に、
まだ、何とかして村八分を世に出したい
という気持は捨てられなかった。
東芝との交渉過程を横で見るにつけ
彼等をとり上げるには、
メジャーのレコード会社では駄目だということだ。
それに、人はいっぱいいても
Iディレクターに匹敵する人材は、
そう転がっていない。
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