《手紙》小野文子(母)から小野雄二(弟):昭和50年1月29日
※小野文子
大正10年(1921)6月5日生 昭和51年(1976)5月16日歿
愛知県常滑市三角新田一の一九
伊奈製陶 第二若竹寮
小野雄二様
京都市伏見区深草正覚町九
小野文子
一月二十九日
※消印:昭和50年1月30日 8-12
〔画像〕1-手紙:小野文子より雄二
今晩の電話の声は 又 風邪を ひいているようでしたね
体を大事にしないと駄目ですよ
5階の上り下りは あわてずに 慎重にすること
尾鷲か明治村の マイクロバスから下りる時にも
オデコを うちましたね
致命傷にならぬよう くれぐれも 気をつけて下さいよ
京都薬大の女子寮の寮母の件 すみこみで 残念なり。
西村さんに 紹介状を貰って行った 京都女子学園 職員課に
薬大から依頼があったのを 担当者が覚えていて
N・Dに電話してくれたそうです(西村さんは 不在だった由》
ニイが小泉和裕君の新聞記事を教えてくれたので
高速有鉛と同封します
一郎君も 3月に結婚の予定 次は K か Y か?
弟が さきでも構いません
すばらしい女の子が いたら 遠慮なく どうぞ。
では おやすみなさい
誤字を 訂正して 下さい
1月29日
雄二ちゃんへ ピー子より
お守り(オマモリ)にするお金は『絵銭(エセン)』といゝます
ベルトクイズQ&Qで聞きました。
〔画像〕2-手紙:小野文子より雄二
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mail 2020/04/23 09:44
昭和50年1月29日の手紙ですね。
この前年、オイルショックの影響だったと思いますが、
伊奈製陶でもレイオフがあり、
上司より「レイオフしてくれる?」と依頼があり、
長めの正月休みを取った記憶があります。
この手紙には二つの意味があったと思います。
①病状が進み不安になってきた
➡「誤字」という記載はその兆候?誤字を書く母親ではなかった。
きちんとした字を書く人なのに、乱れが
②長い休暇で寮にいた僕に会いたくなってきた(?)
➡この手紙の前後(後かも?)、寮に再三電話があった。(出勤前とか・・。)
3月か4月に休暇、5月に退職
※伊奈製陶:昭和49年4月入社、50年5月退社
「KかYに良い人ができたら・・・」
Kに見合い話があったこと聞いていますか?
僕が学生時代かな(?)
お母ちゃんより「ニイに見合い話があるんだけど、まだ早いよね」と一言。
僕はノーコメントだった。
可愛い子を手放したくはなかったように感じた。
この手紙を読んで、上記を感じました。
京都市右京区嵯峨野秋街道町25-2-403
小野 雄二
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年04月18日 08:06 ◆小野文子 略歴:小野文子
小野文子:略歴
大正10年(1921) 6月5日生
昭和51年(1976)5月16日歿 55歳
昭和48年(1973)~昭和50年(1975)
ノートルダム女学院 寄宿舎 副舎監
葬儀は、シスター・メリーキャサリン
(ノートルダム女学院中高校長)の御配慮で、
ノートルダム修道院で行われた。
昭和51年(1976)5月16日歿
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年05月25日 14:57 ◆小野文子 略歴:小野文子
舎監:小野文子・主事:小野又一[二十年の歩み]ノートルダム女学院
[二十年のあゆみ]ノートルダム女学院
第4節 現職々員一覧 p273
「舎 監」 p281
鴛渕裕枝
小野文子
S・ナタリー
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※西村さん:西村四郎 実家は柊家
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年03月20日 08:26 ◆小野又一 ノートルダム女学院
[清流]第24号《小野先生を偲んで》『西村四郎』p5
氏と私の交友は、遠く第三高等学校時代から始まった。
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月01日 14:09 ◆小野又一 第三高等学校
小野又一【第三高等学校】【京都帝国大学】
【第三高等学校一覧】昭和8年4月起昭和9年3月止
理科1年甲類1学級 37人
小野又一 第一神戸 高知
西村四郎 京都一 京都
【第三高等学校一覧】昭和11年4月起昭和12年3月止
昭和11年卒業生
理科甲類卒業生 102人
小野又一 京工 高知
西村四郎 京都
【京都帝国大学一覧】昭和12至13年度
工学部 機械工学科
昭和11年入学 37名
小野又一 高知
理学部 化学科
昭和12年入学
化学ヲ学修スルモノ
西村四郎 京都
【京都帝国大学一覧】昭和15年度
機械工学科
昭和14年3月学士試験合格
小野又一 高知
理学部 理学士 化学
昭和15年3月学士試験合格
西村四郎 京都
※N・D:ノートルダム女学院 中学高等学校
※小泉和裕
小野雄二(1949年9月10日生):小学校・中学校と同窓生
稲荷小学校:昭和37年(1962)3月卒業
〔画像〕稲荷小学校卒業アルバム:表紙
※前から二列目:左端 小泉和裕
〔画像〕稲荷小学校卒業アルバム:写真
〔画像〕稲荷小学校卒業アルバム:名簿
深草中学校:昭和40年(1965)3月卒業
〔画像〕深草中学校卒業アルバム:校門
※前列:左から三人目 小泉和裕
〔画像〕深草中学校卒業アルバム:写真
〔画像〕深草中学校卒業アルバム:名簿
〔画像〕深草中学校卒業アルバム:3年1組
[小泉和裕]
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小泉 和裕(こいずみ かずひろ、1949年10月16日 - )は、日本の指揮者。
人物・来歴
京都府京都市生まれ。
堀川高等学校音楽科(現京都市立京都堀川音楽高等学校)卒業。
東京藝術大学指揮科で山田一雄に師事。
※一郎君:坂本一郎 坂本善春(伯父)の長男
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