[アインシュタインの訪日とハーン体験]金子 務(大阪府立大学教授)
[アインシュタインの訪日とハーン体験]
金子 務(大阪府立大学教授)
ハーンが来日して横浜に上陸するのは
一八九〇年(明治二十三)四月、
そして亡くなる一九〇四年(明治三十七)まで
十四年間を日本で過ごした。
ハーン来日から三十二年後、
アインシュタインが神戸に上陸したのは、
秋も深い一九二二年(大正一一)十一月十七日のことであった。
そして、門司から離日する十二月二十九日までの四十三日間、
日本各地にアインシュタイン・ブームを巻き起こした。
上陸当時、ハーンがカウボーイ・ハットのような
カーキ色のソフト姿でダボダボの上下服、
両手にスーツケースと鞄という
ひっそりとした姿であったのにくらべ、
アインシュタインは黒いソフトに黒羅紗の背広姿を
茶褐色の霜降りコートに包んで、
悠然とパイプをくゆらしていたのは、
季節の違いばかりではあるまい。
改造社が、バートランド・ラッセル、サンガー夫人についで
三番目の賓客として当時の金で二万円という礼金
(往復旅費、滞在費を含む)で招待したのだし、
すでに当時のアインシュタインは、
理論物理学者として世界的なポップスターとして、
人気も抜群であった。
押し寄せる記者団、歓迎団その他、
賑々しい神戸上陸風景であったのである。
日本郵船北野丸の社交サロンで
開かれた洋上での記者会見で、
日本訪問の目的について尋ねられた
アインシュタインはこう答えている。
――それは二つあります。
一つは、ラフカディオ・ハーンなどで読んだ
美しい日本を実際に自分の眼で確かめてみたい――
とくに音楽、美術、建築などをよく見聞きしてみたい――
ということ、
もう一つは、科学の世界的連繋によって
国際関係を一層親善に導くことが
自分の使命であると考えることです。
これについて、もはやくどくどしい注釈は不要であろう。
ハーンが悪しき欧化によって逞しいが
形の崩れた日本の醜さを見るよりも
失われゆく日本の美しい伝統文化への愛情の眼を向けつつも、
なおつぎのように、日本の西洋文化学容の仕方を
「柔術」にたとえて鼓舞したことが忘れられない。
近代的な鉄道、航路、電信、電話、郵便局、
通運会社、大砲、連発銃、大学、専門学校
そういうものをことごとく持ちながら、
日本はあいかわらず今日でも、一千年前と同じように、
東洋風であることに、少しも変りはない。
自分の国は、昔ながらのままにしておきながら、
日本は、実に敵の力によって、あたうかぎりの限度まで、
自国を裨益したのである。
……あの驚くべき国技、柔術によって、
日本は、今日まで自国を守りつづけてきたのだ。
いや、現在も守りつづけつつあるのである。
これはハーンの日本文化診断であるし、
ハーンの日本文化への願望ともいえるものだが、
アインシュタインも離日前の朝刊に残したメッセージ
(『大阪朝日新聞』大正十一年十二月二十八日付)にこう記して、
ハーンの心情を共有するのである。
予が一カ月にあまる日本滞在中にとくに感じた点は、
地球上にも、まだ日本国民の如く
かく謙譲にして
かつ篤実の国民が存在していたことを
自覚したことである。
世界各地を歴訪して、
予にとってまた
かくの如き純真な心持のよい国民に出会ったことはない。
また予の接触した日本の建築絵画
その他の芸術や自然については、
山水草木がことごとく美しく細かく、
日本家屋の構造も自然にかない、
一種独特の価値がある。
故に予はこの点については、
日本国民がむしろ欧州に感染をしないことを希望する。
また福岡では畳の上にも坐って見、
味噌汁も啜ってみたが、
その一寸の経験から見て、
予は日本国民の日本生活を
直ちに受け入れることの出来た一人であることを自覚した。
アインシュタインのこの気持ちには、なんの粉飾もないことは、
帰る船から物理学者のボルン夫妻
その他にあてた絵葉書にも明らかである。
別れを惜しむ榛名丸のアインシュタインの眼には、
はっきり涙が浮かんでいるのを、一葉の写真が見せている。
アインシュタインが短い日本滞在中に見せた
数々の日本への好感は、
もともと強い東洋への共感という下地に、
ハーンの著作が点火し、実見によって強められた。
「死ぬように疲れた」と日記に記す
過酷なスケジュールにもかかわらず、
日本の芸術文化への飽くことのない体験の日々を送った
多くのエピソードが、
今日なお語り伝えられている。
アインシュタインは残念ながら、
ハーンが愛した出雲地方の日本を見聞する機会はなかった。
仙台から下関まで表日本を見、
わずかに福岡で玄界灘を通して
日本海の荒々しさを想像したにとどまる。
しかし、アインシュタインの柔らかな眼は、
ハーンの日本へのなつかしさの眼とほとんど重なっていた、
といってもよいだろう。
<大正11年17日~12月29日来日>
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年03月28日
[アインシュタイン博士]《明楽寺前住職 佐々木雪雄》
『葦原雅亮集』葦原浩二編
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