東都第一の名所なる墨田川の滸り八洲園【明治貴女鑑】明治21年
【明治貴女鑑】明治21年1月出版
頂門一針
明治貴女鑑
浦の家霞 閲 花汀散史 著
東京共隆社 発兊
頂門一針 明治貴女鑑序 p4/90
現今の上流社會の或る紳士と貴媛が
東都第一の名所なる墨田川の滸り八洲園裡に於て・・・。
目 錄 p6/90
第二回 佳人墨堤賞櫻花 八洲園裡出才子
〇第二回 佳人墨堤賞櫻花 八洲園裡出才子 p15/90
明治の十五年四月三日は日曜日にして
※明治15年(1882)4月2日=日曜日
天氣も至つて晴朗なれば・・・ p16/90
芳 ナニ此から先はそんなに雜沓はしませんが・・・ p17/90
八洲園と云ふ奇麗な庭がありますから
往て見ませうじやァありませんか
淸子 アヽそんなら往て見やう
ト淸子は下婢と連立てたどりたどりと歩む内
早や八洲園に至りければ
松風は濤々として宛(さなが)ら狂馬の駆け奔るが如く
瀧の音は轟々として殆んど數千の雷霆斎しく震ふに似たり
怪石交錯奇卉蔭を列ね
層巒樹影池中に倒影し庭中の景色
畫にも描ぬ程なれば
淸子は池の邊に佇立て彼首此首を眺つゝ
淸子 マァ實に景色が好ネー
妾は初て八洲園のお庭を拜見したよ
芳 ヘイ左樣で御座いますか
此なお庭はマァ何處にもありますまい
淸子 アヽ何處にもないネー
是のマァ池へ懸つて居る石橋の奇麗な事・・・
臘石でこしらへたのだらうネー
芳 さうで御座りませう
なんとも美事に出来て居ますネー
マァ奥樣
那(あの)松の木を御覽なさいまし
奇妙じやァありませんか。
淸子 ヱどれ@ヽ那(あの)松の木か・・・
成程奇躰だネー
丈が漸く五尺ばかりで横へ蟠つて居ること
大したものだネ
あれはモー餘程古い松に@相違ないよ
芳 それから奥様那(あ)の築山を御覽なさいまし
どうしてあんなに高く出來たでせう
淸子 アァ爾(そう)だネー
マァお芳や向ふの池岸の茶會坐敷を御覽ん・・・
大層風雅な造り方だネー。
〔画像〕1-小松島八洲園美人の賑ひ
芳 左樣で御座ります
あれが眞個の風雅で洒落て居ると云ふのですよ p18/90
アレ石燈籠の傍に立て鐵砲をかついで居る人は造りものでせうか
それとも只の人でせうかネ
些とも動ませんよ
淸子 アヽ那(あれ)かへ
那(あれ)は造物に相違ないだらう・・・
―略―
左りとは知ぬ下婢
お芳は池の中を眺めつゝ
芳 モシ奥樣この緋鯉を御覽なさい
大層此處へ集つて居ますネー
アレ那(あの)鯉の大い事・・・
淸子 さうだネー
芳 マァあんな大な腐を一口で喰て仕舞ましたよ
〔画〕向島八洲園ニ清子始テ忠雄ニ逢ノ p21/90
〔画像〕p21-50【明治貴女鑑:頂門一針】
淸子 それじゃァ p27/90
貴郎は四月三日の日曜日に八洲園へ・・・
※明治15年(1882)4月2日=日曜日
明治 廿年十一月一日版權免許 正價 金五拾錢
同 廿一年 一月 出 版
著述兼出版人 東京府平民
千葉茂三郎
京橋區銀坐貮丁目六番地
發 兌 所 京橋區銀坐貮丁目六番地
共 隆 社
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