[寺島町の田中別荘=田中清輔]
旧佐賀藩主鍋島直大の佐賀御館の家扶、
田中は名儀だけである
―鍋島家の実証的分析-

[佐賀における 千町歩地主の成立と解体]1969年1月
   ―鍋島家の実証的分析-
    福岡 博  松尾幹之
(1)田中清輔   p1-2/42
 本項の結論から先にいえば、
大地主田中清輔は、旧佐賀藩主(のち侯爵)鍋島直大の
佐賀御館の家扶であって、田中は名儀だけであり、
その所有地はすべて鍋島直大のものであるということである。
鍋島直大家(本家)では、東京本邸と佐賀御館二つの家務を持ち、
別計理を建前に種々の事業を行なうが、
この詳細については、別項で述べる。
 田中清輔は、文政四年(一八二一)八月四日佐賀に生まれ、
もと吉岡喜十郎といい、秀才の誉れ高く、藩命で伊勢へ遊学、
帰郷して田中致総の養子となり、名を清輔と改めた。
万延元年(一八六〇)第一〇代藩主鍋島直正の嫡子直大、
元服の折、深川亮蔵らとともに御教育係となり、のち本邸の家扶となる。
明治四年直正東京で逝去、その際佐賀で帰葬の請願強く、
それをなだめるべく佐賀に帰り、
その後佐賀御館の家務責任者となる
(東京本邸責任者は深川亮蔵となる)。
 鍋島本家には、明治初年より、
多くの田畑山林が買収された記録が残っており、
その登記名儀人は田中清輔、または中野政明になっている。
 196901-鍋島家の実証的分析p001
〔画像〕196901-鍋島家の実証的分析p001

地所そのものは鍋島直大のものでありながら、
家扶名儀で登記させた理由は明らかでない。
 ―略―
 田中清輔は、明治三八年一二月四日、八四才で逝去、
墓所は佐賀市赤松町、龍泰寺にある。
 196901-鍋島家の実証的分析p002
〔画像〕196901-鍋島家の実証的分析p002

 明治十三年十二月地所財産調    p13/42
寺島地所 坪数 弐千八百弐拾弐坪七
  右買入代価 千七百五拾円
 196901-鍋島家の実証的分析p013
〔画像〕196901-鍋島家の実証的分析p013
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[舊鍋島侯の下屋敷:田中別荘(当時)]
[明治39年頃から小倉常吉別邸]
【向嶋寺嶋村鍋島氏園池図】明治33年5月
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