小野安子(祖母):西太后の主治医にという話

《助産之栞》大隈侯 mail 2021/02/10 18:12
西太后の主治医にという話を聞いたことがあります。
この記載(赤字部)の延長線上にあった話ではないかと思います。
小野 雄二

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年08月18日
M4012《助産之栞》(139號)明治40年(1907)12月
◎同仁會會長大隈伯の演説 ※大隈重信
同氏女醫及助産婦養成に就て
大阪支部演説の大要を前號に掲載せしも
今東京總會の演説を得たれば茲に掲ぐ
尚演説中の早稻田大學創立者
故小野梓氏令嬢安子氏は
永年緒方博士の許にて醫學を研究し女醫となり
續て産婦人科研究の上
福岡醫科大學に於て小兒科を研學し
目下神戸にありて獨逸學を專心研究中なりと聽く
尚々同氏當院に在て研究中は
本誌編輯に少なからず貢献せらるゝ所ありき
 ―略―

また東京にては男子の醫學生を養成してありますが
何うか婦人の醫者又は産婆を養成せねばならぬ
夫れで是れは餘程望が多いのであります、

若しまた清國の風俗に合したところの
婦人の醫を派遣すると云ふことになれば、
淸國到る所の上流社會貴顯社會に
必ず歡迎せらると云ふことは私の友人、
其他淸國に精通せる人よりの報告談話等に依つて明である

また此の外淸國に此の文明の醫術を導て
而して淸國多數の人民を不幸の中より救ひ出し、
其の上に醫術其のものが他の文明を導くと云ふことになれば
淸國の國家に取りまた淸國民に取り
是れ程幸福なことはないと思のであります
助産之栞(大隈)_0001
〔画像)助産之栞(大隈)_0001

 ―略―
併しながら近年は東京邊にても女子にして醫學を修むる人が
追々に增して來たのである
大阪にも少しはあるだろうと思ひますが
私は只今熱心に醫學を研究されて居る
婦人にお目に懸つて來た
これは早稻田大學の創立者の一人たる
小野梓といふ名高い人のお嬢さん
殊に今より二十五年前
早稻田大學創立のときに生れたお嬢さん、
今二十五歳になる其のお嬢さんが
福岡大學に於て醫學を研究した
全体醫科大學に於てさふ云ふ婦人を入れることは
規則が許さぬと云ふやうなことで、
餘程面倒であつたが
さう云ふ熱心なる人の事であるからと云ふので
特殊の法を設け
漸く許されたと云ふのである
故に婦人の醫學を修むのは
目下の急務であると信ずるのであります

又産婆を養成する これは最も容易く行はる
而して其の人達が學びさへすれば
其の學問に對する報酬は内地にて働くよりも
遙かに大いなる報酬を得るのである
のみならず淸國の婦人方の幸福と云ふものは
非常に大いなる者である

其他我同仁會に資金さへ豐富であるならば
續々其人を淸國其他へ送り付けることが出來る
即ち施費を與へて送るので
さうすると必ず向ふにて自立して行くことが出來るやうで
さうすると必ず向ふに
て自立して行くことが出來るやうである ※二行追記:2021/02/11 12:22
何うも淸國には殆んど醫者がないのであります(以下略)
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