小野文子(旧姓 小川)大連光風台《小川清秀邸》昭和17年前後
〔画像〕母・大連-玄関
〔画像〕母・大連-ピアノ
〔画像〕母・大連-椅子
〔画像〕母・大連-庭
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年04月18日
小野文子:略歴
大正10年(1921) 6月5日生
昭和51年(1976)5月16日歿 55歳
学歴
大連 常盤小学校 昭和2年(1927)~昭和8年(1933)
大連 弥生高等女学校 昭和8年(1933)~昭和13年(1938)
京都女子高等専門学校 昭和13年(1938)~昭和16年(1941)
家事科 第七回卒業(現 京都女子大学)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年01月17日
小川清久(叔父)から小野一雄へ
[大連:小川清秀邸の写真]平成4年6月
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年01月17日
小川清久(叔父)から小野一雄への手紙:平成4年(1992)6月5日
一雄君
ごぶさたしましたが、元気な声を聴いて安心しました。
(平成4年)5月23日から5日間
大連へ行き念願の写真をとって来ました。
この家は満鉄本社の設計課長の設計になり、
昭和9年に父が建てたものです。
家の裏門と勝手口は煉瓦でふさがれてしまってました。
裏に続いて建てられていた貸家14軒
(当時、満鉄や三井物産等の課長クラスが入っていましたが)
はそのまま健在でしたが、
いずれも一戸に二所帯が住んでいるようでした。
父は私が帰国する前の年に亡くなりましたが、
母は、「お父さんは死ぬ迄に何時も《無念だ》と云っていた」
と云っていましたが、
1915年(大正4年)中国税関に入り、
上海・営口・青島・海南島で勤務し、
昭和5年(1930年)大連税関に転勤、
翌年(昭和6年)が満州事変、
昭和7年に満州国が成立して、
大連税関が満州国に接収された時に、
退職した時の退職金等で建てた家と貸家だったのでした。
鎭魂!
お元気でまた。
三上先生 御夫妻によろしく
お伝えください
平成4年(1992)
清久 6月5日 (一週間程 留守にします)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇