夏秋先生(夏秋富雅)【佐賀先哲叢話】明治35年
【佐賀先哲叢話】明治35年
夏秋先生(夏秋富雅) p88/136
先生、名は富雅、忠左衛門と稱し、
嘉永三年十二月歿せられ、
享年六十二、
先生、最、經學に精しく、
固く程朱を執つて、
陽明を斥け、
曾て朱王或問を著して、
其の得失を辨ぜられき、
相良賴善翁の談話
性、耿介にして、
苟も人と雷同せられず、
是を以て、藩儒の間に容れられず、
獨、門戸を開いて、子弟に授けられき、
嘗て旅僧の高寺に滯在せるものあり、
先生之と邂逅して、
文事を談ぜられしに、
此の僧、其の容貌の、やつれたるにも似ず、
學德ともに高く、尤、文法に精かりしかば、
就いて學ばるること一百日にして、
遂に一部の傳書を授かりて、
其の秘を傳へられ給へり、
さて先生、没せらるるに及び、
其の書を高弟、石井松堂氏、
名は鐵通 稱は龍右衛門に傳へられたりといへども、
今は遺失して、其の家に存せず、
石井氏令室の談話なり
先生、貧にして能く病み、
常に風を畏れて、衣間に紙を襯ね、
又、袴下に脛衣を着けられき、
又、笠を戴かれけるときは、
つねに日の照す所に隨ひて之を傾欹し、
正しく冠られしこと希なりと云ふ
石井氏令室の談話
文政の初め、賴山陽の佐賀に來るや、
史學文章の談、縷々、口を衝いて出でければ、
一座みな瞠若たり、
是に於て、先生、席をすすめ、
經義を擧げて之を質し、
古註新註、口に任せて誦出し、
辯論攻撃、意氣、虹の如くなりければ、
山陽、殆ど窮し、
遂に一語を發すること能はざりきと、
口碑に依る
明治三十五年 十月二十八日印刷
明治三十五年十一月 四日發行 (定價金四拾錢)
著 者 中島 吉郎
佐賀市赤松町二百二十三番地
發行兼 木下泰三郎
印刷者 佐賀市松原町百五十二番地
賣捌所 木下泰山堂
佐賀市松原町百五十二番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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