島 國華先生(島 義勇)【佐賀先哲叢話】明治35年
【佐賀先哲叢話】明治35年
島 國華先生 p116/136
先生、名は義勇、字は國華、團右衛門と稱じ、
文政五年佐賀に生れ、
少にして國學に入り、
弘化の初年、江戸に遊び、
佐藤一齋の門に入りて陽明學を受け、
歸りて國學指南となり、
明治の初、再び、東京に上られき、
田中氏の談話
先生、豪邁果武、
是れ其の長所なり、
而して其の短所も、
亦、此に在るが如し、
自己の識見を主として衆論と合すること能はず、
酒酣なれば、悲酒慷慨、聲涙ともに發し、
奸を惡み人を罵り、未だ曾て已む能はざるなり、
曾て水戸に遊びて、深く藤田東湖と交はられき、
蓋し氣風の相近きものありと云ふ、
又、曾て堀織部正に從つて、蝦夷、唐太の地を巡見し、
維新の役に海軍監軍となりて江戸に入り、
又、陸軍參謀となりて相野の地を鎭し、
事定りて會計判事となり、後、
大學助敎、山形縣令を歷て、
從四位に敍せられ、
明治七年官を罷めて歸省し、
ついに、佐賀の乱に没せられぬ、
人名辭書に依る
明治三十五年 十月二十八日印刷
明治三十五年十一月 四日發行 (定價金四拾錢)
著 者 中島 吉郎
佐賀市赤松町二百二十三番地
發行兼 木下泰三郎
印刷者 佐賀市松原町百五十二番地
賣捌所 木下泰山堂
佐賀市松原町百五十二番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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