「大隈さんの早稲田」と「慶應の福澤先生」:
長谷川勤のインフォメーション・ブログ
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維新の先覚者「吉田松陰」研究のやさしい入門ブログ
「大隈さんの早稲田」と「慶應の福澤先生」
【2011/01/12 09:29】 エッセイ
-略-
そして翌日の1月11日、 ※小野梓:明治19年1月11日歿
今度は「佐賀偉人伝叢書」の『大隈重信』が我が家に郵送されてきた。
送って下さったのは、早稲田大学の島善高教授。
私の恩師の著書である。
1月10日に刊行される予定と伺っていたが、
その翌日に到着とは感動。
100頁余りの本だが、魅せられて一気に読了。
-略-
福澤諭吉が「筆まめ」なら大隈は「講演まめ」と云ってよいだろう。
明らかに正反対の表現方法をとったわけである。
しかし、大隈さんは福澤諭吉より三年遅い1838年に誕生している。
そのためもあってか、生涯福澤を尊敬し続け、
大変深い親交があったとのことである。
その大隈さんが朱子学一辺倒の藩校の学問に不満をおぼえ、
洋学の「致遠館」で猛烈に勉強した秀才だったのである。
読んでいながら、大隈さんは、
福澤諭吉の後を追いかけているのでないかと、
錯覚を起こしそうになるのである。
この二人の異同は、実に興味深く、
「ジェファーソン」の独立宣言を一生懸命勉強したのも、
神の導きがあったのではないか?と思わせるのである。
そして、大隈さんが勤皇思想に入り込んでいくきっかけは、
「枝吉神陽」(佐賀藩の藩校の教官で、副島種臣実兄)の主宰する
「義祭同盟」に参加したことからである。
この枝吉神陽は、長州の「吉田松陰」と同様、
門下から多くの有能な人材を育てたのである。
明治新政府の司法卿を務めた、江藤新平もそうである。
「政治は我が命」といった大隈さんだったが、
生涯で総理大臣を二度、
外務大臣に至っては五度も就任したのだそうである。
世間一般には「大隈侯」とか「大隈老侯」と呼称されることが多いが、
これは「侯爵」だったことからの尊称である。
実は「幻の公爵」の挿話が51頁から54頁までに克明に書かれている。
公爵の推薦状(大正11年)が写真で掲載されていて、
大変興味深く見られるのである。
事情は、この時の宮内大臣・大久保利通の2男である牧野伸顕が
「過分である」として申請を握り潰したようである。
ここにも薩摩・長州ではない大隈さんの出自がからんでいたのだろう。
世に「薩長土肥」といわれるが、その「薩長」と「土肥」の間には、
越えがたい大きな溝といえるハードルがあったようである。
その証拠に、大山巌のように軍人としての功績だけでも「公爵」である。
彼は、西郷隆盛の従兄弟であるから薩摩なのだ。
そうして、この両巨人の出会いが、32頁に大変感動的に書かれている。
少し長いが、そのまま書いてみる。
「大隈の立憲思想の深化に大きな影響を与えたのは、
大隈よりも四、五歳年長の福澤諭吉であった。
明治六年(1873)に初めて会った二人は、
西洋文明を日本に注入するという点では「一心両体」で、
大隈は福澤の人格に惚れ込み、
また福澤の学問的素養に深く感銘を受けた。
大隈は、また福澤から紹介された門下生の矢野文雄、中上川彦次郎、
小泉信吉、犬養毅、尾崎行雄、牛場卓蔵らを適宜、官庁に配し、
彼らからも西洋思想を存分に吸収した。
福澤は大隈に、
「憲法政治を起すなら己れも力を添える」と言ってくれた。」と。
また、「学問の独立」の項では、
福澤と大隈の思想が相重なる部分が非常に多いのである。
この「独立」なることばは、福澤の金看板のイメージがあるが、
実はこの本を読んでみると、
大隈もこれを非常に大切にしていたことがわかるのである。
「独立自尊」、「学の独立」は
早稲田、慶応の建学精神または理念である。
驚くほどに、
早稲田、慶應は相通ずる思想の下での学問観があるようである。
この島善高教授の本は、大変に歯切れのよい文で綴られているので、
非常に読みやすいし、わかりやすい。
早稲田・慶應にご縁のある方々には必読の書であると思う。
読後感の何と爽やかなことか、一気に読了してしまった。
読んでいくうちに、あれよ、あれよと魅せられてしまうのです。
筆力のなせる業だと、感じ入ってしまったのである。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2014年05月25日
《土佐宿毛の教育者 酒井南嶺》『酒井南嶺伝』昭和63年発行
1. Posted by 長谷川勤 2021年03月10日 18:39
5 小野梓(早稲田大学人物叢書)の評伝を読んでいたら、
酒井南嶺の薫陶を受けたことを知りました。
私は吉田松陰の研究をしております。
宿毛出身の明治期の活躍者達は、
殆どが酒井南嶺の影響・薫陶を受けたと知り、感動しております。
高杉晋作や伊藤博文等を育てた吉田松陰と重なります。
さらに、大隈重信、副島種臣等を育てた、
枝吉神陽に比肩される教育者と理解しました。
『酒井南嶺伝』を読む機会を渇望しております。
私家本らしく、購入の機会が困難とのことで残念です。
よいブログに出逢えて感激しております。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年03月25日
[小野梓君碑と大久保麑山先生紀念碑]②/④
小野梓君碑と大久保麑山先生紀念碑 ②
別府祐弘
したがって私には早慶両校の校風は
その根底の理念において繋がっているように思われるのである。
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