[福沢諭吉と大隈重信②]長谷川勤のインフォメーション・ブログ

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福沢諭吉と大隈重信②
2012/01/10 18:59
福澤諭吉と大隈重信
福澤諭吉が幕末に慶應義塾を創設し、
大隈重信が明治15年に早稲田大学を創設して、
今日「私学の雄」として近代日本、
そして教育界に大きく貢献したことは説明するまでもないだろう。
明治の政治史上、「14年の政変」は薩長藩閥の政治主導を決定づける
大きな事件でもあったが、歴史の皮肉とでも云ったらよいのか、
この事件がなければ今日の早稲田大学はまず誕生しなかった。
つまり、大久保利通亡きあとの政府を代表して
「筆頭参議」を務めていた大隈が、
国会開設意見書をめぐって薩長出身の政治家達と対立したことから、
政府を追われることになったのである。
そこから早稲田大学が生まれるのである。

日本国憲法案や国会開設が薩長出身者達と意見を異にしており、
時の参議の中で大隈だけが意見書の提出が遅れていた。
正しくは彼の知恵袋的存在だった、
慶應義塾出身の矢野文雄や、
側近だった小野梓らが意見書を起草していたのであったが、

  blog[小野一雄のルーツ]改訂版
  2019年12月18日 03:40
  明治14年の政変における小野梓の決定的役割を描く:姜範錫1991

一人大隈だけがイギリス流の議院内閣制や
早期国会開設という急進的な内容であったので、
意識的に提出を遅らせていたのであった。
-略-
福田総理(当時)の挨拶の後、
安西塾長(当時)の挨拶は、出色だったそうである。
※安西塾長(当時)の挨拶:別稿に記載

  blog[小野一雄のルーツ]改訂版
  2016年08月02日
  [思い出の写真帖]W125-24
  〔早稲田大学創立125周年記念式典:平成19年〕
  元内閣総理大臣 海部俊樹
  内閣総理大臣  福田康夫
  サウジアラビア
  慶應義塾大学  塾長 安西祐一郎
  <祝辞> 慶應義塾大学 塾長 安西祐一郎
  撮影:平成19年(2007)10月21日(日)

創立者の仲睦まじい関係が、
一世紀以上も共存共栄を願って
互いに切磋琢磨していることを知る人は、
意外と少ないようである。
大隈は政治家のイメージが強いが、
日本女子大学や同志社大学への援助も
惜しまなかった人であることも、
併せて記しておきたい。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年03月23日
「大隈さんの早稲田」と「慶應の福澤先生」
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年03月25日
[小野梓君碑と大久保麑山先生紀念碑]②/④
[2007年10月21日 早稲田大学創立125周年記念式典 祝辞]
 慶應義塾長 安西 祐一郎
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