愛知郡常盤村乞喰野(明治十五年愛知県郡町村字名調)
【[尾三郷土史料叢書]. [第1編] (明治十五年愛知県郡町村字名調)】
明治十五年愛知縣郡町村字名調 p4/460
解 題 p5/460
郡町村字名調なる文書は内務省が各縣令に命じ、
明治十五年全國の地名に讀假名を附けて報告せしめたもので、
以來内務省に保管せられ、
諸種の研究資料となつたものであるが、
大正十二年の大震火災に全部烏有に歸してしまつたとの事である。
處が昭和六年十二月愛知縣より尾州德川家經營の財團法人
尾張德川黎明會蓬左文庫に下附せられた古文書の中に、
右縣下各郡町村字名調の報告控があることを発見し、
德川家に請うて之を謄写に附し發行するに至つたのである
凡 例 p6-7/460
一 本書の原本は尾州德川家經營のもとに東京に設立せられし
財團法人尾張德川黎明會蓬左文庫にあつて
四千餘枚より成る浩瀚なものである
一 頁数を縮小する為に記載の形式を換へてあるが、
記載事項に省略したものはない
一 原本には讀假名を朱書してあるが、
本書は経費の関係上黒色の一度刷にした
一 讀假名は総て原本と同様にした。
たとへば假名遣法によつた假名もあれば、
発音式に記したものもありて、
區々であるけれども全部そのまゝにしておき、
尚又濁音が落ちたり誤記と思はるゝ處もないで
もないが敢て校正をしない。
一 郡・町・村名には郡・町・村の文字が添へてある。
是等の文字の添はつてゐない地名は字名であり、
( )を附して小文字に記したのは小字名である。
一 本書の目次は原本にはないが便宜上巻頭に附することゝした。
目 次
-略-
『写眞版』 p9/460
原本の一頁「報告文書」
愛知郡 p117/460
常盤村 p132-133/460
南永金 瀧 子 稗 田 高 辻 下烏田
江 越 下赤島 高縄手 上赤島
股子田 上烏田 坂 下 地 村 北永金
中屋敷 門屋敷 亀 口 円 上
鎌 田 白 金 向 田 鳥 喰 大清水
古市場 菱 池 吸 場 外 田
乞喰野 河 田 都 島 島 退 嶌西浦
砂 田 北市場 登城海道 東 脇
出 口 土 取 念 佛 亥 方 天神前
天神東 荒 畑 東 寺 山 崎
竹 戸 小 針 西鶴舞 東鶴舞
西古井田 中古井田 東古井田 木 市
西狭間 北丸屋 北 山 北山前 東 畑
下離松 上離松 山ノ田 東狭間
吹 上
昭和七年五月二十日印刷 非賣品
昭和七年六月 一日發行
著作兼発行者 山村 敏行
愛知縣教育會
印 刷 者 岡本 栗扶
愛知縣碧海郡大浜町丁一番戸
印 刷 所 一心舎印刷部
愛知縣碧海郡大浜町丁一番戸
發 行 所 愛知縣教育會
愛知縣廰構内
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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『常盤村』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
御器所村(ごきそむら)は、かつて愛知県愛知郡にあった村。
現在の名古屋市昭和区にほぼ該当する。
沿革
江戸時代末期、この地域は尾張藩領、犬山藩領、寺社領などであった。
1868年(明治元年) - 名古屋村が分立し、名古屋村と東畑となる。
1871年(明治4年) - 前津小林村の一部が名古屋城下に編入される。
1876年(明治9年)8月21日 - 愛知県第二区に所属。
御器所村、石仏村、東畑の一部、名古屋新田の一部が合併し、
常盤村となる。
-略-
1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行。
常盤村と前津小林村が合併し、御器所村となる。
-略-
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