[北神圭朗]京都のため、日本のため:令和3年4月22日小野宅
京都のため、日本のため。
たゆまず、屈せず、再挑戦。
無所属 前 衆議院議員 2020年10月号
北神けいろう
私が目指す政治は、
1)私たちが、地元において
平和で豊かな暮らしをしながら、
2)各国と対等にお付き合いをし、
国民と国土を守る
ことであり、こうした京都・日本を次の世代に
つないでいくことです。
北神圭朗
北神けいろう 6つの改革
※同行:山崎裕二(前京丹波町議会議員)
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京都4区 前衆議院議員
北神けいろう プロフィール
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年04月11日
[北神圭朗]京丹波町のため 日本のため:令和3年4月9日小野宅
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年05月01日
[東京すくも人]第2号:書評『世の中これでいいのか』依岡顯知著
こんな話も載っています。
昭和二十二年から発効せられる新憲法は、
総理大臣は国会議員でなければならない。
昭和二十一年五月、
総理になった吉田茂氏は国会議員の議席を持っていなかった。
林譲治氏は、恩人の息子、
田村良平氏が復員して来て、
高知から立候補しようと相談を受けたのを、
日本の為にどうしても吉田氏を土佐から立候補、
当選させたいと、
田村氏に辞退を懇願し県会議員になってもらった。
林氏自身も、
高知市と七郡のうち五郡を吉田茂氏の地盤に提供し、
自らは幡多・高岡の二郡で当選した。
この結果、
吉田氏は第七次まで内閣を組織し、
日本再建に大きな役割を果すことが出来た。
吉田氏が政界を退いた時、
林譲治氏は、吉田氏の議員バッヂを戴き
それを田村氏の襟につけてあげたという。
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