出雲丸船長吉村と云ふ人に身受けをされ:
山田おたい(三好)【名妓今紫物語】大正3年
※[出雲丸 一等機関手 吉村愛之助]下記に記載

【名妓今紫物語】大正3年
その當時三州屋に同居してゐる p40/70
山田おたいと云ふのが、
雪の越路生れの美人で、
凾館蓬萊町の武藏野樓と云ふ大店で、 ※下記
三好と呼んで大分全盛を極め、
お職女郎を凌いでゐた位であった所から、
郵船會社の出雲丸船長吉村と云ふ人に身受けをされ、
同地曙町に圍(かこ)はれてゐたが、
其の後吉村は出雲丸と一しょに沈没したので
おたいは函館を片付けて東京に出で、
ふとした緣から今紫と知り合いになって、
義姉妹になりました。
大正三年三月二十九日印刷
大正三年三月三十一日發行 (實價金參拾錢)
著作者 春の浦人
發行兼 東京市日本橋區濱町二丁目十二番地
印刷者 前川 龜吉
印刷所 東京市日本橋區龜島町一丁目卅九番地
    秀 文 社
發行所 東京市日本橋區濱町二丁目十二番地
    日新書房

【北海道及花街】大正14年
 各地の花街(上)  p76/195
  函 館 市
   沿 革
    花街發達史  p77/195
 明治四年、山の上町の遊廓の切店(大店の事)から出火して、
全廓烏有に歸した。
同八年には臺町も遊廓地に指定された。
そして山の上町の貸座敷の大半は蓬萊街に移轉し、
豐川町の大部分も此處に引き移つたが、
其の他は臺町に越し、
又臺町に新規營業者も出來て、
兩廓相對峙するに至つたが、
臺町は蓬萊の敵ではなかつた。
當時蓬萊街で名高つた妓樓は、
星山十、武藏野、梅川、萬〆、曲子屋等である。
 明治二十四、五年頃の函館の花柳界は、
總ての點に於いて發達の域に達した。
當時蓬萊街には見番一(蓬萊見番と俗稱されてゐた)
驅黴院一、檢黴所一、貸座敷營業者七十四軒有り、
娼妓五百八十名、藝妓九十六名居つた。
又臺町方面には驅黴院と檢黴所一、
貸座敷營業者七十四軒有り、
娼妓百六名、藝妓五十五名を數へられた。
大正十四年七月卅一日印刷 定價 並製金貳圓參拾錢
同    八月 一日發行 定價 特製金貳圓七拾錢
著者兼 渡部 一英
發行者 小樽市稻穗町西四丁目十三番地
印刷者 一 噌 連
    東京市芝區兼房町十五番地
印刷所 一噌印刷所
    東京市芝區兼房町十五番地
發行所 北海之花街發行所
    小樽市稻穗町西四丁目十三番地
    振替貯金口座 小樽二二五一番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年04月20日
出雲丸朝鮮所安島近傍ニ於テ難破之件②2/2:
明治二十五年四月/分割2
日本郵船會社滊船出雲丸義捐金報告
救恤金及義捐金分配表
   救恤金及義捐金分配  p7/55
 合   計   乘組員職名  姓 名
 九〇圓九五五  一等運轉手 今村 長貞
 九〇圓九五五  二等運轉手 菅井源一郎
 九二圓一一〇  三等運轉手 宮川松三郎
 九二圓一一〇  一等機關手 吉村愛之助
 九〇圓九五五  二等機關手 阿部德三郎
 九四圓六〇五  事務員   片山源三郎
 九〇圓九五五  事務員心得 木下政太郎
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