『牧牛傳染豫防法』米國ウイード誌
(ジェームス・オースチン・ウィード)
(ジェームス・オースチン・ウィード)
【明治六年京都府布令書 明治六年自四月至七月】
【明治六年京都府布令書 明治六年自四月至七月】明治6年(1873)
京都府布令書 明治六年五月 第二百九十一号
[第二百九十一号] p20-21/264
今般開拓使三番御用地牧牛
當月八日より十四日迄
二十六頭相斃し
全傳染病を被相察致㫖
同使より知達有之@
就戸者雇傳染病豫防之方法
當府雇入農牧場ウ井―ド江
及尋問致處
別帋之通申出致条
牛持之者ハ兼@厚注意
豫防之手當@@致事
@爲@@管内江@洩相違@者也
明治六年五月 京都府知事 長谷信篤
p20【明治六年京都府布令書 明治六年自四月至七月】
牧牛傳染豫防法 p21/264
カーボリックアシド 石炭酸也
水一升ニ此藥四戔ヲ入レテ混和ス
牛小屋十戸ニ此藥水三合ツヽヲ濂クヘシ
此藥水ヲハ小屋ノ入口閾ヨリ内
凢一尺四五寸𠀋ノ所ニ濂ク可シ
凢ソ傳染病ヲ防クハ
牛小屋ヲ清潔ニスルヲ以テ專要トス
毎日午前第八時ニ牛ヲ出シ
木陰ニ繫キ置クヘシ
小屋中ヲ潔ク掃除シ
午後第四時マテ空氣ヲ入レ
其後ニ牛ヲ繫クヘシ
藥水ヲ濂クハ三日ニ一度ニテ可ナリ
傳染病既ニ入リタル所ノ小屋ニハ
先ツ硫黄ヲ以テ悪臭氣ヲ燒キ盡シ
其後此藥水ヲ濂ク可シ
米國 ウイード誌
p21【明治六年京都府布令書 明治六年自四月至七月】
【明治六年-七年 京都府布令書
明治六年自一月二月 至 明治七年一月ヨリ七月】
[明治七年四月 第百六十六号] p142-144/153
農ハ國の本なりとハ昔より役人も學者もよく云ふ
p142【明治六年-七年 京都府布令書】
明治六年五月ゟ(より)亜米利加の農学者
ウ井―トと申(もうす)人を雇ひ
鴨河東牧畜場にて農学の手始をなし
諸種の植物の方法
牛馬羊豚其外禽獣の蓄方病氣治療・・・
明治七年四月 京都府知事 長谷信篤
【明治十年 京都府布令書 明治十年自一月至 月】明治10年(1877)
諸場設置調書 p91-93/216
p91【明治十年 京都府布令書】
一 牧畜場 此入費高 金三萬六百拾八圓拾貳錢五厘三毛
丹波船井郡蒲生野
牧畜場共
p92【明治十年 京都府布令書】
右諸場現今所有物ノ高左ノ如シ
一 金貳萬四千八百四拾貳圓三拾五錢九厘九毛
牧畜場
p93【明治十年 京都府布令書】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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京都府立須知高等学校
須高Gallery
農牧学校資料館
京丹波ウイードの森
「ウィードの森」の歩み
明治 9年 9月 アメリカから招かれた
ジェームス・オースチン・ウィード先生により
蒲生野牧畜場開設
明治 9年11月 ウィード先生により京都府農牧学校開校
明治12年 5月 ウィード先生の雇用契約終了に伴い京都府農牧学校閉校
京丹波ウイードの森
京都府農牧学校資料館
平成29年12月9日
京都府立須知高校の一室を改装し、
農牧学校時代の資料等を集めた資料館が開館
京都府農牧学校開業式(明治9年11月)における
ジェームス・オースティン・ウィード先生の祝詞(「勧農新報」)をはじめ、
授業で用いた農具や英語の教科書等を展示しています。
外国からの新たな農業技術の導入、実践、普及する人材の育成を
この蒲生野の地から始めた当時の開拓者たちの志が偲ばれます。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年04月29日
須知高校 辻垣晃一様
[須知高の高原に響く鐘─京都新聞 丹波版]の『鐘』について
mail 2021/04/15
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