猫犬大明神の三味線屋 儲け所は胴の張替
【商売うらおもて. 続】大阪朝日新聞經濟部 大正15年

【商売うらおもて. 続】
  一 猫犬大明神の三味線屋  p9-11/178
     儲け所は胴の張替
 正親町帝の御宇琉球より蛇皮線渡來致しなどといへば肩が凝る。
月あかり見れば朧の船の内、仇な二上り爪彈きは、
忍び逢ふ夜の首尾の松、嬉しかなしの色戀を、
三筋の絲にからませて、情も交ふ歌詞、結ぶ緣の三味線は、
三百有餘年の流れを引いた民衆樂器の隨一である。
その三味線のうら表、
表は猫皮、裏は左馬と蹴つてしまへばそれまでだが、
三味線の胴皮に臍のあるなしを知るほどのものは餘りタントない。
    ◇
 三味線の區別は色々あるが、
おしなべて名古屋、東京、大阪と三色にわかれる。
棹に櫻や樫、花林、紫檀にまさる紅木棹、
胴は花林のくり方次第、
裏打胴の上物からコソゲ胴やスズク胴、
皮は猫皮犬の皮、音緒、駒、絲に胴掛と一式そろへて、
稽古三味線の八圓五十錢から飛切りの七百五十圓
三筋の絲にも段がある。
    ◇
 六圓三十錢の櫻棹が八圓五十錢で賣れ、
五十七圓の紅木が百十圓で買手がつき、
七百五十圓の代物が
二百五、六十圓ものゝ中から切り當てた
トチ木棹と聞いてはとてもボロさうな。
しかしこゝもと御聞きに達しまするは、
三味の本場の大阪でも一日一棹ならしに賣る店は
たんとないといふこと。
花林一棹では身すぎもならぬ三味商賣、
それでも格子造りに御神燈さげた
粹な構へのやりくりは何でするやら。
    ◇
 三味線屋にはお稻荷さんは附きものだが、
まことは犬猫大明神、
猫は性温柔好媚よく人の膝にのるといふところから、
三味線の胴に張られるのだとは落語染みてゐるが、
三味線屋の講釋には絲の音色のゆかしさと
遠音で聞いた韻のふるへは
とても犬では及びもつかぬといふ話だ。
    ◇
 三味線は昔からあるが、
別に三味線に張る犬猫を
飼つてゐる商賣の見當らぬのは
不思議といへば不思議、
だが、それもそのはず、
商賣の裏路づたひの猫釣りが
「いとはん」達が手鹽に掛けて育てあげた飼猫を
こつそり失敬する秘法があつて見れば、
雜用かけて飼ふに及ばぬものゝ道理。
それが一匹五六十錢、
晒されて梳かれて三味の皮になるまでの手順は略して、
三味線屋へ卸されて來る値が、
犬で八十五錢ぐらゐから
猫の最上六圓止まり。
胴の張替賃が最低二圓から十三圓。
そこで三味屋の儲けどころは
胴の張替にあると知るべし。
 鳴りは三味線の命だが、
鳴りよく張れば破れるのが當然、
ピンと一つ鳴つたが最後、
一圓の皮は二錢に暴落、
そこにきはどい三味線屋の渡り方がある。
上物を張れば時を移さず客にとゞける、
玄關を這入つて手渡してしまへば
破れても折れても客の損とは憎らしい商法。
また一疋の皮で臍を境に上皮下皮の區別があり、
臍のついた下皮は破れ易く、
猫の皮を張つてくれ、
値は負けろのお客にはこの下皮で出合ひをつける。
    ◇
 その始め御佛について來たといふ猫、
今では三味の皮となつて道樂の合の手を引き受けるとは
これも運命だが、
背に腹はかへられぬ身すぎのためとはいひながら、
犬猫を殺さねばならぬのも罪が深い。
近頃犬塚猫塚を立てゝ祀らうといふところに、
やはり人間の弱味がある。
大正十五年三月十五日印刷
大正十五年三月二十日發行
「商賣うらおもて」續篇
 定價金一圓六十錢
編 者 大阪朝日新聞經濟部
    代表者  和田信夫
發行者 合資會社 日本評論社
    代表者  鈴木利貞
    東京市本郷區弓町一丁目二十五番地
印刷者 日本印刷製本株式會社
    代表者  堀 越幸
    大阪市西區阿波座二番丁一番地
發行所 合資會社 日本評論社
    東京市本郷區弓町一丁目二十五番地
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    振替 東京九六七八
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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