大關增裕 皮革の製造【下野勤皇列伝. 前篇】昭和15年

【下野勤皇列伝. 前篇】昭和15年
  大 關 增 裕  p206/279
  6 皮革の製造  p220/279
 當時皮革の製造は、
賤業の營むものとして、
非常に忌み嫌つたものであるが、
增裕は此の舊慣を打破して、
穢多の半三郎と云ふ者に命じて、
軍事に必要なる皮革の製作法を傳習させ、
時々城内新座敷の内庭、
又は練兵場に召し寄せて、
侍臣を介して使用の目的に應じ、
夫れぞれ指示して製作せしめた。
是れ蓋し
先に增業 ※下記
自ら皮革の制作を試みられた例に
倣つたものであらう。
所が、
關東八州の穢多を支配する
彈左衞門(江戸淺草に住す)と云ふものは、
半三郎が支配の許可を得ずして、
勝手なふるまひを爲すは、
假令領主の仰せとあつても不届千萬だと憤り、
其の筋に訴へて、
彈左衞門の獄屋に投じた。
侯は痛く之を憫み、
町年寄高柳倉次を出府させて、
半三郎を色々と庇護したが、
遂に彼は牢死したので、非常に嘆息された。
昭和十五年十一月一日印刷  下野勤皇列傳 前篇
昭和十五年十一月十日發行   定價 七圓五拾錢
著 者 栃木縣敎育會
發行者 皇國靑年敎育協會
    代表者 大谷 保
    東京市麴町區九段三丁目二番地
印刷所 萩原印刷所
    東京市牛込區山吹町一九八番地
發行所 皇國靑年敎育協會
    東京市麴町區九段三丁目二番地
    振替東京三〇〇〇〇番
    電話 九段一四五八番

【下野勤皇列伝. 後篇】昭和19年
  大 關 增 業  p246-284/324
  一九、練革私記  p274/324
 之は著述と言はうより、鎧製法に就いての、
自家の見を記述せる所謂私記である。
文化九年七月十四日、 ※1812年8月20日
堀大和守親寶に贈れるもので、
其の條目は -略-
昭和十九年一月二十五日印刷  下野勤皇列傳 後篇
昭和十九年一月三十一日發行   【非賣品】
    栃木縣敎育會編
    代表者 瀧田 爲壽
印刷者 江俣 雅央
    宇都宮市旭町二ノ三、四三三
印刷所(東栃一〇) 株式會社三共社印刷所
    宇都宮市旭町二ノ三、四三三
發行所 栃木縣敎育會
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大関 増裕(おおぜき ますひろ)は、江戸時代末期の大名。
下野国黒羽藩15代藩主。
大関氏黒羽藩15代藩主 (1861年 - 1867年)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大関 増業(おおせき ますなり)は、江戸時代後期の大名。
下野国黒羽藩11代藩主。
大関氏黒羽藩11代藩主 (1811年 - 1824年)
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