【木村秀藏】『人事興信録』
長男 木村利一の妻《龜》明治32年12月生 
小野鶴太郞の姉

日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
木村秀藏
 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
位階・勲等・功級
爵位・身分・家柄 兵庫縣在籍
職業    兵庫縣多額納税者、
      木村製藥(株)代表取締役、製藥業
性別    男性
生年月日  明治三年四月 (1870)
親名・続柄 東佐七の長男
家族
妻 アサ  明八、一一生、大阪、立花清左衞門長女
男 利一  明三五、三生
婦 龜   明三二、一二生、長男利一妻、
      東京、小野鶴太郞姉
男 英次郞 明三九、九生
女 富久子 明四五、一生
記述部分(略伝)
君は兵庫縣人東佐七の長男にして
明治三年四月を以て生れ先代政兵衞の養子となり
同三十七年家督を相續す
製藥業を營み縣下の多額納税者にして
現時木村製藥會社代表取締役たり
家族は尚
孫  秀一(大一〇、一一生、長男利一長男)
同  利雄(昭二、九生、同三男)あり
養母 リウ(安政三、一一生、西川金三郞三女)は
   大阪府人木村卯三郞の家籍に入り
長女 咲(明二七、一生)は兵庫縣人東虎吉の養子となれり
住所 兵庫、赤穗、坂越村
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 アース製薬
  年      会社の歩み
1892年(明治15) 木村秀蔵が大阪(難波)で創業
1910年(明治43) 兵庫県(赤穂市坂越)に工場を建設
1916年(大正05) 炭酸マグネシウムの国産化に成功
1925年(大正14) 株式会社木村製薬所を設立
1964年(昭和39) アース製薬株式会社に社名変更
1970年(昭和45) 大塚グループ資本参加
アース製薬 会社の歩み 木村秀蔵
〔画像〕アース製薬 会社の歩み 木村秀蔵
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月06日
[小野英之助の嗣子・小野鶴太郎]
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
立田敬二様作成の系図より
[小野英之助の妻:貞]
[小野鶴太郎の母:貞]
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2021-05-18
アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版
第22回
第6章 「アース」への途 その1
 さて話が前後したが、大正9年(1920)10月、
秀蔵一家には誠に喜ばしいことが訪れた。
即ち、長男利一(元社長)の結婚である。
それは、芸術家でなくとも理解できよう。
自己の天分を持ってわが音楽界を風靡する。
これは千金にも代え難い魅力である。
しかし利一は父母をよろこばせる為に、
この野心を捨てて坂越の漁村に帰省したのである。
 そして迎えられた新婦は
東京小野家の長女 百合子であった。
 ※《龜》小野鶴太郎の姉

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』
2021-06-01
アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版
第23回
第6章「アース」への途 その2
 百合子夫人は、
当時のことを回想して筆者にこう語ってくれた。
次回 第6章「アース」への途  その3 お楽しみに
【編集後記】
 文中で秀蔵翁の回想を語る
利一の妻 百合子夫人は、小野家の娘である。
 ※《龜》小野鶴太郎の姉
 良質炭酸マグネシウムの開発に励む秀蔵翁は、
その品質確認のためライオン歯磨社長に会うため、
何度も上京し艱難辛苦の場面がある。(第14回で掲載)
 そんなとき秀蔵は、
上野の小野鶴太郎(小野義眞の嗣子)と会い、
  ※小野鶴太郎(小野英之助の嗣子)
  ※小野英之助(小野義眞の養子)
ひとときの心穏やかな様子が描かれている。
 百合子は小野義真の娘で、
 ※《龜》小野英之助の娘:小野鶴太郎の姉
義真は同じ土佐藩出身の岩崎弥太郎の知恵袋となって
三菱を支えていた。
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