[一少年の大連記憶]執筆:秦 源治(大連常盤小、大連二中、南満工専卒)

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 満洲の記憶
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   [一少年の大連記憶]
     執筆:秦 源治
(大連常盤小、大連二中、南満工専卒)
 編集:甲賀 真広、大野 絢也
    凡 例
・本回想記は、大野絢也、尹国花、菅野智博
「一位日本少年的大連記憶――秦源治先生訪問記録」
(『口述歴史』第14 期、2016 年)として
台湾で発表された内容が基になっている。
本稿は秦源治氏のご意向により、
日本語版を本号へ掲載することとなった。
なお、原稿は2017年夏に原稿をいただいたものである。
・本回想記の翻訳は秦源治氏が依頼した第三者によって行われ、
秦氏が内容の加筆修正を行った。
・秦源治氏の執筆意図を尊重し、
文中の表記や表現は原文のままで掲載している。

私は、大正15 年(1926)12 月に、大連で生まれました。 p2/49
父助市は大連で洋服商を営んでおりました。
昭和8年(1933)に大連常盤小学校、
昭和14年(1939)に大連第二中学校に入学し、
中学時代は“愛鳩部”に所属していました。
昭和19年(1944)南満洲工業専門学校鉱山工学部に進学し、
昭和20年(1945)4 月から弓長嶺鉱山で勤労動員に従事しました。
同年8 月、徴兵検査前に第二国民兵の召集令状を受け、
動員先から帰連したのが8 月15 日午後3 時過ぎで、
その直前の正午には戦争は敗戦に終わったことが分かり
そのまゝ自宅待機、私は戦地に征かずに済みました。
昭和21年(1946)3 月南満工専は繰上げ卒業となり、
昭和22年(1947)3 月29 日には遂に大連最後の日を迎え
“さらば大連!”引揚船「高砂丸」に乗船して大連港を出港、
4月3日佐世保港に上陸し、故国への第一歩を印しました。

四、学生時代  p12/49
(1)大連常盤小学校
昭和8年(1933)4 月4 日、学齢に達して、
最寄りの大連常盤小学校に27回生として入学しました。
元は、明治44年(1911)3 月に開校した
大連第三尋常高等小学校という大連では三番目に古い学校ですが、
常盤橋近くということで、
大正13年(1924)4月1日に大連常盤尋常小学校と改称されました。
所在地は西公園町8番地でした。
<写真>大連常盤尋常小学校 南東角よりの眺望
<写真>大連常盤尋常小学校校章
<写真>大連常盤小学校入学記念写真 昭和8 年4 月4 日

各学年は、1 クラス約50 人の  p13/49
男(青組・黄組)女(赤組・桃組)四クラスで200 人程です。
私は二組(黄組)ですが、
入学52名、転入23 名、転出26 名、卒業49 名でした。
6 年間通年の者は32 名ですが、
転入生を含めクラスメートは75 名です。
平成29年(2017)4 月現在、
連絡のとれるクラスメート生存者は僅かに7 名のみとなり、
淋しい限りです。
我ら27 回生二組の担任教師は、
一年入学から三年まで土川卓郎先生、
四年から六年卒業まで久保勘一先生でした。
<写真>常盤小学校六年二組
<写真>土川・久保両先生 昭和38年
<写真>土川・久保両先生 昭和43年
<写真>大連常盤小学校全景  p15/49
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満州の記憶 第8号
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2020年11月13日
【満州引揚】《小川清秀》《小川 梅》《小川清澄》舞鶴上陸
 昭和22年2月15日《小川清久》昭和28年7月11日
[引揚者在外事実調査票]
3 小川清澄 続柄  次男   性別 男
       生年月日   大正15年7月25日(満29才)
       外地渡航年月 大正15年7月
       引揚出港地  大連  船名 信濃丸
       上 陸 地  舞鶴
       引揚(上陸)年月日 昭和22年2月15日
       生活保護適用の有無 無
       現在地 京都

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2020年11月14日
【満州引揚】《小川清秀》《小川 梅》《小川清澄》
[乗船者名簿 信濃丸]舞鶴上陸 昭和22年2月15日
 DEBAKATION  ROSTER
   (引揚名簿)
氏  名   年令 在留地
小川清秀 男 56  大連
     行先地 京都市左京区下鴨松ノ木町四七番地
     原籍地 長崎市酒屋町三〇
小川梅子 女 55  大連
     行先地 京都市左京区下鴨松ノ木町四七番地
     原籍地 長崎市酒屋町三〇
小川清澄 男 22  大連
     行先地 京都市左京区下鴨松ノ木町四七番地
     原籍地 長崎市酒屋町三〇

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年04月18日
小野文子:略歴
学歴
大連 常盤小学校   昭和2年(1927)~昭和8年(1933)
大連 弥生高等女学校 昭和8年(1933)~昭和13年(1938)
京都女子高等専門学校 昭和13年(1938)~昭和16年(1941)
家事科 第七回卒業(現 京都女子大学)
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