谷口雅春「生長の家」[特高外事月報・昭和12年1月分]

  宗敎運動の狀況  p87/117
    一、類似宗敎「生長の家」概況
(一)概況
東京市赤坂區檜町に本部を置く「生長の家」は
現主宰者谷口雅春の創始に係り、
同人が昭和五年神戸在住中個人雜誌「生長の家」を編輯發刊して
所謂光明思想の普及を提唱したるに濫觴するものにして、
昭和九年本部を東京に移して組織を擴充し、
巧妙なる布敎宣傳を以て克く世情に投じ、
創始以來僅々五年にして全國に七百數十の地方支部(誌友愛會)と
信者(誌友)十數萬を擁するの發展を見るに至れり。
而して本敎團は最近類似宗敎團體の跋扈弊害に對する
當局の斷乎たる取締を見るに至るや、
卽ち其の對象と爲ることを恐れて
自ら敎化團體に外ならずと稱し居れるも、
其の所説或は信者の心理に徴するも
類似宗敎團體たること明にして、
而も其の云爲する幼稚なる宗敎的唯心論に出發する
誇大なる現生利益の強調は、
殊に醫療妨害等の弊害を惹起するの虞ありて、
本敎團の動向等に關しては
宗敎警察上相當注目の要あるものと認めらる。
以下其の沿革敎義竝に現況等の概要に就て述ぶる所あるべし

(二)主宰者谷口の經歷及敎團の沿革
「生長の家」主宰者谷口雅春は
明治二十六年十一月二十二日
神戸市湊區夢野町三丁目に生れ、
大正十三年(※三年の誤記)早稻田大學文科を中途退學後
大日本紡績株式會社に入社したるが、
同八年同會社を退いて皇道大本敎に入信し、
綾部本部に於て同敎機關紙あやべ新聞の編輯に從事し、
傍ら出口王仁三郎、淺野和三郎等に就き
心靈學、鎭魂歸神法等を修習し
更に各宗敎を研究する處ありたり。
斯くて大正十年大本教第一次不敬事件の發生するや
直ちに同敎を去つて上京し宗敎上の著述に當り居りしが、
大正十三年十二月神戸市所在の外國商館
ヴアキユーム・オイル會社に就職したり。
其の後圖らずも神の啓示に依り
後述の如き眞理を體得せりと自稱し、
昭和五年三月神戸市外住吉の自宅を「生長の家」本部と爲し、
個人雜誌「生長の家」を編輯發刊して人類光明化運動を提唱し、
卑近巧妙なる布敎手段に依り漸次誌友(信者)を獲得し、
昭和八年八月右商館を辭して專ら敎勢の擴大
「生長の家」關係の著述出版に當れり。
斯くて昭和九年八月在京誌友有志の勸誘に依り上京し、
「生長の家」本部を東京市澁谷區穩田三丁目七六
(谷口の現住所)に移して組織を擴大し、
同年十一月「生長の家」關係書籍の出版竝に販賣營業を目的とする
株式會社光明思想普及會(資本金二十五萬圓)を設立し、
更に翌十年十月同じく其の附帶事業を目的として設立したる
株式會社見眞社を合併して資本金を百二十五萬圓となし、
同時に其の本社竝に「生長の家」本部を現在の場所に移轉せり、
而して「生長の家」を始め各種の機關雜誌、
單行本の出版頒布、新聞廣告、講演會等に依るの外
見眞道場、花嫁學校・家庭光明寮の設置經營等
布敎宣傳に努め遂に今日の隆盛を見るに至れり。

(三)敎義竝に布敎の方法  p87-88/117
   -略-

(四)組織概況       p88-89/117
「生長の家」本部は谷口雅春を總裁とし、
殆ど其の獨裁的支配下に在り。
彼を中心として本部最高機關たる理事會あり。
理事は又各部局(顧問、企劃、敎化、總務、編輯、敎育、婦人)の
長として本部の中樞を形成し、
地方支部として全國各地に七百三十餘の
「生長の家誌友相愛會」を置き布敎開發に努め居れり。
株式會社光明思想普及會は「生長の家」本部と全く異名同體にして、
「生長の家」を敎化團體とする建前より
其の企業的方面を擔當せしむる爲の手段便法に過ぎず。
取締役社長の外取締役監査役各五名を置き社務を掌らしむ。
谷口は表面重役に列し居らざるも、
會社の實權は殆ど彼の壟斷する處にして、
前記役員の如きは寧ろ空位を擁しつゝあるの實狀なり。
而して「生長の家」地方支部たる「誌友相愛會」責任者は
會社の株式を以て之に充て、
誌友獲得に依る書籍の賣行を直ちに自己の利益に反映せしむるの
巧妙なる方法を採り居れり。
「生長の家」敎育事業として經營しつゝある花嫁學校、
家庭光明寮は谷口雅春の妻輝子寮長となり、
高等女學校卒業程度以上の婦女子に對し
結婚準備の敎育を施し約四十名の寮生を収容しつゝある狀況なり。
「生長の家」光明思想普及會の首腦者左の如し。
一、生長の家本部理事會(最高機關)
  總  裁   谷口 雅春
  理事長    辻村 楠造(元陸軍主計總監)
  顧  問   野村 義隆(元海軍主計大佐)
  企劃部長兼敎化部長
         秋田 重季(子爵元貴族院議員)
  總務部長   淸津 理門(谷口雅春義兄)
  編輯部長   岡田  昇(十一年十月佐藤彬辭職後就任)
  敎育部長   矢野 西雄
  婦人部長   松本 恒子
二、光明思想普及會重役
  取締役社長  服部 仁郎(十一年六月二十八日 佐藤勝身
               辭任後社長トナル)
  取締役    辻村彦二郎
  同      巽  忠藏
  同      佐田フミヨ
  同      湖松 茂吉
  同      西村辰五郎(佐藤勝身辭任後取締役トナル)
  監査役    石津又一郎
  同      湯澤 睦雄(警眼社)
  同      井上喜久麿
  同      伊東 義啓
  同      吉田 信雄
三、大株主(三百株以上)
  三、二七〇株 谷口 輝子(雅春妻)
  三、〇〇〇株 谷口 雅春
  一、四二六株 小塚 公平
    三〇〇株 伊東 義啓
    三〇〇株 宮崎喜久雄(以上東京)
    五〇〇株 山田豐太郎(長崎)
    五〇〇株 星丘 重一(兵庫)

(五)現 況    p89-90/117
(左記一)生長の家七つの光明宣言
     -略-
(左記二)招神歌
     -略-
(左記三)發行書籍種目
     -略-
(左記四)本部講習會席上に於ける谷口雅春の講義内容
     -略-
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レファレンスコード A04010437600
件名 特高外事月報・昭和12年1月分
国立公文書館 内務省関係 内務省警保局
特高外事月報・昭和12年1月分
[規模]117
作成年月日 昭和12年1月
作成者   内務省警保局//内務省警保局保安課
組織歴   内務省警保局//内務省警保局保安課
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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生長の家創始者  谷口 雅春 先生
明治26年11月22日、
兵庫県八部郡烏原村(現在の神戸市兵庫区)にご生誕。
大正3年、早稲田大学英文科を中退、求道生活に入られる。
やがて「人間・神の子」善一元の世界、万教帰一の啓示を受けられ、
この真理を 万人に伝えたいとの悲願の下に
個人雑誌「生長の家」誌を昭和5年3月に創刊。
以後、同誌の普及に連れ、後に宗教法人「生長の家」に発展する。
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