「あらしのボートレース」 別府祐弘
早稻田大學総長・田中愛治様;
「総長招待(春秋叙勲者)祝賀会」記念品として
「稲穂カットのワイングラス一対」を本日有り難く拝受いたしました。
令和二年春の叙勲に際して拝領いたしました
「”早稻田の誇り”紅白ワインボトルセット」と併せて、
重ねて厚く御礼申し上げます。
拙宅仏間に大切に飾らせて頂いております。
また6/30「早稻田 狂言の夕べ」
校友 人間国宝・野村万作・野村萬斎 於大隈講堂
一階H列27番のチケットもご恵贈下さいまして、
温かいお心づくし身にしみました。
6/20に二次ワクチン接種を済ませた上で、
一昨年花園神社で金婚式を済ませた糟糠の妻・迪子と、
当日はリーガロイヤルホテル東京に投宿し、
久しぶりのキャンバスを散策して
“精悍青き眉あげて”の日々の追憶に浸りたいと存じます。
有り難うございました。
田中総長の下、早稻田大學の益々の発展と躍進をお祈りします。
令和三年六月十七日
令和6年(2024年)1月1日
新会員自己紹介
光陰矢の如し
塚川 利雄(1974・理工院)
楽しい時間が過ごせましたら。
高橋 智香(2020・政経)
武蔵野市在住半世紀・米寿記念入会
別府 祐弘(1960・政経)
「ようやく武蔵野市に戻ってきました」
山中 賢一(1975・政経)
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(アルミのお椀三個で、史上初メルボルン・オリンピック7位入賞
慶大エイト凱旋帰国第一戦:第26回早慶レガッタ#に勝利した時の
早大漕艇部員)別府祐弘
追伸;「朝陽」70号に表紙写真及び
拙稿「成蹊と私」が掲載されました。
更にその文末のQRコードも開いてご照覧願えれば幸せです。
「朝陽」No.70 2021 Jun(創立100周年記念特集号)
#ご参考;昭和32年(1957年)の第26回早慶レガッタ
この「事件」こそが早慶レガッタ100年の歴史の中では恐らく、
最も世の関心を集めるエピソードとなる。
新聞に大きく報道されたばかりか、
小学校6年の国語の教科書に
「あらしのボートレース」として
昭和36年から昭和45年まで掲載され、
およそ300万人の小学生が読むことになる。
そのレースでは何が起こったのか。
教科書の簡明平易な記述で追うことにする(以下引用)。
(学校図書(株)協力)
「あらしのボートレース」
昭和32年5月12日、伝統の第26回早慶ボートレースが行われました。
前夜からの雨は、まだやまず、さらに、春特有の強風に加えて、
隅田川の水面には、かなり大きい波が立っていました。
この一戦に備えて、早稲田・慶応の両大学ボート部の選手たちは、
長い間、はげしい練習を重ねてきましたが、
試合前の予想では、
慶応の勝利がほとんど確実であると見られていました。
というのは、慶応のボート部は、
その前年のメルボルン・オリンピック大会にも参加しており、
その時の選手の一部が、まだ残っていたからです。
しかし、この悪条件では、
勝敗は、はたしてどうなるかわかりません。
慶応のかんとくは、レースに先だって、選手たちに言いました。
「みんな、全力をふりしぼってこいでくれ。
この波では、ボートの中に、水がはいってくるかもしれない。
しかし、ボートレースというものは、あくまでも、
みんなが力をあわせてこぎぬく競争だ。
もし、はいってくる水に心をうばわれて、
ふだんの練習の力を出せなかったら、
相手の選手に対して失礼なことだ。
どんなに苦しいことがあっても、
力いっぱい戦うことが、
スポーツマンにとってたいせつなことなのだ」
一方、早稲田のかんとくは
「たとえ、試合には負けても、
けっして、ボートをしずめてはならない。
ボートをしずめることは、ボートマンにとって、
もっともはずかしいことだ。
きょうは、波がたいへん高い。
もし、ボートに水がはいってきたら、
4人でこいで、残りの4人は水を出してもいい。
みんな、最後までがんばって、ボートをしずめないでくれ」
と言って、各選手に、水をくみ出す器をわたしました。
スタート直後、両国橋付近までは、予想通り、
慶応が、だんぜんリードしていました。
かさをさして試合を見ていた観衆も、
ほとんど、その勝利を信じていました。
ところが、蔵前橋を過ぎるころから、
慶応のボートは、しだいにおくれ、
早稲田が、じりじりと、差をつめ始めました。
慶応のボートには、だんだん、水がはいって、
ついには、選手のこしをぬらすほどになってしまったのです。
それでも、選手たちは、誰ひとりオールを放さず、
力いっぱいこぎ続けました。
しかし、ついにゴールにははいれず、
ボートはしずんでしまいました。
先行する慶應クルー 沈没した慶應クルー
早稲田のボートでは、水がはいってくると、
何人かの選手がくみ出し係になって、
はるか前方を行く慶応のボートの速さに、
くちびるをかみながらも、少ない人数でこいでいました。
しかし、しん水で速力のおとろえた慶応を、
駒形橋の近くで追いぬき、勝敗は逆転したのです。
ところが、岸に上がった早稲田の選手は、
しんぱん長に、試合のやり直しを申し出ました。
「これは真の勝利ではない。
この悪天候では、ほんとうの力は出せない」
というのです。
しかし、しんぱん員の相談の結果、申し出は採用されず、
早稲田の勝利と認められました。
慶応の選手たちは
「試合に対する準備が足りなかったのだから、
早稲田の勝利は正しい。明らかに負けたのだ」と言って、
早稲田の勝利に、心からの拍手を送りました。
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