[琿春]明治43年11月帝國領事館開設
【咸北要覧:附間島琿春】大正15年
【咸北要覧:附間島琿春】大正15年
【咸北要覧:附間島琿春】大正15年
[琿 春] p130/135
渤海時代よりの舊地なるが、
中頃無人の境土となつて居た、
然るに淸國が光緒七年 ※明治14年(1881)
琿春拓墾總局を置きて露韓両國に備へ、
間琿一帶の開拓に手を染めた當時より
浦潮自由港閉鎖までは露領ポゼツト港を中繼とする、
貿易頗る隆昌なりしが
明治四十二年(1909)頃より漸次北鮮雄基港との
貿易關係密接を加ふると共に、
邦人居住するもの多く、
明治四十三年(1910)十一月帝國領事館開設の當初
二十六戸百十四名の居住者があつた、
大正九年(1920)九月十二日及十月二日の兩度 ※下記
匪徒の襲はれ我領事分館等を燒かれ
内鮮支人多數死傷者を出した、
人口は大正十年(1921)調査に依れば、
科別 内地人 朝鮮人 支那人 外國人 合 計
戸數 一三五 一八七 八二三 三 一、一四八
人口 二八六 七二〇 四、七一八 四 五、七二八
當地には外國人居留地の設けなく、
縣城内外に雜居して居る、
日本側の施設としては
領事分舘、普通學校、日本人居留民會、朝鮮人民會等があり、
支那側として
琿春縣知事公署、吉林混成第二旅團第二團第三營、
延吉地方審判檢察分廰、駐琿憲兵所、警察所、警備隊、
二等郵便局、電報分局、搉運局私隊、勸學所、高等小學校、
搉運分局、林務局、琿春海關及商務會等である。
大正十三年一月三十日印刷
大正十三年二月十一日初版
大正十三年十月 十日增補四版
大正十五年六月三十日改訂五版
編輯兼 永井 勝三
發行人 咸鏡北道會寧郡會寧面二洞六十六番地
印刷人 森 辰之助
咸鏡北道會寧郡會寧面二洞六十七番地
印刷所 會寧印刷所
咸鏡北道會寧郡會寧面二洞六十七番地
發行所 會寧印刷所
咸鏡北道會寧
振替京城四一五五番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2022年02月19日
[變死体檢視調書]医師 安陪兼吉
琿春ニ於ケル朝鮮人暴動一件/大正9年10-11月
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇