《伊藤 醇:別府 醇》祖父 九三 祖母 柳
【シーボルト先生 : 其生涯及功業】大正15年
【シーボルト先生 : 其生涯及功業】大正15年
今はただ之に謝せんとするにも
それに報ふる辭なきを覺ふる迄なり。
左にその姓名を列ねて乍聊感謝の意を表す。
アンベルクロー君・
阿部正巳君・秋元東之進君・秋山政三君・
靑木梅三郞君・尼子四郞君・雨宮保衞君・
安藤仲次郞君・荒川みね子・有馬純彥君・
伊木壽一君・伊佐早謙君・伊東榮君・
伊東祐彥君・伊東忠太君・伊東尾四郞君・
伊藤醇君・ ―略―
晩に町年寄の首席にて和蘭人の熱心なる崇拜者たる
ファン、デル、ベルグ
前にも掲げたる通り伊藤杢之允のことにて。
前の蘭館長ドゥーフがかくは名づけたるなり。
佐甲氏とともに此地の舊き名家なれど、
系圖は焼けて今は傳はらず。
嘉吉年中に兵庫助に任官したる人あり、
又先代が彦島を領せしことあり。
毛利氏が長門に來りし折には下ノ關奉行として
後までも別段の待遇を受けたりと云ふ。
今の主人は伊藤醇と名乘る
杢之允の時より阿彌陀寺町に住ふ
に招待されたり。
彼は一行を家具其他すべて歐西の趣味に作りたる室に延きて、
和蘭流に接待せるのみならず、
第五十九圖 p116/857
シーボルト先生が伊藤氏に贈りたりといふ人形の衣服
人形は德川幕末に攘夷家の爲に梟首になり。
今衣服のみを殘す。
小形の日本人ならば大人にも適すべき程なり
(下ノ關 伊藤醇君藏)
第六十一圖 p117/857
シーボルト先生が伊藤氏に贈りたりといふ和蘭人形
(下ノ關 伊藤醇君藏)
伊藤の家に今も種々のものを傳へたるが、
蘭醫フイエルケの富士の畫にドゥーフの贊したる一幅・
中津侯奥平昌高の蘭詩一枚・
ブロムホッフの蘭詩一枚・
文化十一年頃に萩屋彌七郎敎貞の寫し畫きたる蘭畫數十枚あり。
殊にシーボルト先生の贈りしと云ふ小き和蘭人形あり。
先生の贈られたる・それよりも大きなる人形もありたるが、
維新の際に破壊して今は其衣服を留むるのみ。
そは大人も着べき程大いなるものにして
上着・下着・靴までも揃ひてあり。
今の當主は伊藤醇といふ。
シーボルト先生再渡來の時
其
祖父 九三(天保六年―明治五年)
祖母 柳(天保二年―明治三十年三月)も面會せられたり。
下ノ關なる伊藤醇氏方に
「林煥斯本草全書拔萃」リン子ウス ※煥:火⇒女
「旭霜流眼目秘書」
「喎蘭銀海秘錄」
「勃乙斯眼目究理說」
「和蘭直傳外療秘方」等の書あり。
シーボルト先生。其生涯及功業索引 p530/857
伊藤醇 一四八・八五九 p532/857
明治二十九年一月二十五日第一版印刷
明治二十九年一月三十一日第一版發行
大正 十五年十月 一 日第二版印刷
大正 十五年十月 四 日第二版發行 正價金貳拾圓
著 者 呉 秀 三
發行者 田中 けい
東京市本郷區龍岡町三十二番地
印刷者 柴山 則常
東京市本郷區駒込林町百七十二番地
印刷所 合資會社 杏林舎
東京市本郷區駒込林町百七十二番地
電話小石川 七七九番 四七二五番
發行所 吐鳳堂書店
東京市本郷區龍岡町三十二番地
振替貯金口座 東京三〇五八番
電 話 小石川七六八七番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年07月07日
[別府醇・伊藤醇]別府又十郎の四男:馬關の名門伊藤家を嗣ぐ
【豊前二市四郡人名辞書】
別府又十郎君 築上郡三毛門村 p128/166
三男醇氏は學を慶応義塾に修めて、
馬關の名門伊藤家を嗣ぎ。
[別府 醇・伊藤 醇]※三男とあるが、正しくは四男。
生 明治13年(1880)12月19日
歿 昭和45年(1970)04月04日
明治42年(1909)05月17日
山口県下関市大字阿弥陀寺町第九拾参番屋敷
伊藤弥六 ト 婿養子 縁組届出
同日
長女ルイ ト 婿養子 婚姻届出
※ 上記、別府祐弘先生から
(父 別府祐六:別府又十郎の六男)
頂いた除籍謄本(原本のコピー)を基に作成。
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