《小野 梓》總理大臣を夢みる【日本英雄伝. 第2巻】昭和11年

【日本英雄伝. 第1巻】菊池寛 監修 昭和11年
     凡 例   p4/312
七、本英雄傳は專門諸家の分擔執筆に依るもので、
  之を編纂所に於て審議統一したものである。
    昭和十一年二月  日本英雄傳編纂所
【日本英雄伝. 第2巻】菊池寛 監修 昭和11年
   《小野 梓》       p277-279/311
   總理大臣を夢見る
 梓が病の床に就いてから、
もう大分重くなつて來た頃のこと、
彼を診て居た醫者は、
それは決して肺病ではない、と言つて慰めた。
 彼は病狀を知つてゐなかつたか、
『我輩は肺病患者ではない。
 これ位で死んでたまるものか。
 我輩は日本宰相の印綬を帶びなければ
 決して死なぬ。』といひ、
この精神あれば病は我輩の身體を侵す力をもたないと
日記の一節に誌してゐる。
 だが梓の再起はおぼつかなく、
まもなく日記も絶つてしまつた。

  blog[小野一雄のルーツ]改訂版
  2018年09月23日
  『故小野梓先生十年追悼會』①
  【小野梓】永田新之允・明治30年
  [日本宰相の命を受くるに非されば則ち死せず]

 明治十八年十二月二十二日、
この生きた骸の上に一つの光明が照り映えた。
政府は當日太政官を癈め、内閣十省を置き、
參議伊藤博文を總理大臣に任じた。
未曾有の大改革は、
終生の著述『國憲汎論』下巻に梓が唱えた所と
ほぼ一致したものであつた。
年來の志望の叶つた彼は、
氣息奄々のうちに辛じて喜びの色を表した。
 彼が組閣の望みを果さず三十五歳の若さで斃れたのは、
翌十九年(一八八六)一月のことである。
 もともと蒲柳の質であつた彼は、
その旺盛な精神力を發揮し、
明治の日本の多くの方面に活動し、
行くとして可ならざる大きな足跡を殘した。
その主なるものは
第一は早稻田大學の前身、東京專門學校創立、
第二は大隈重信の立憲改進黨の三掌事の一人として
日本憲法政治の開發に盡した政治的業績、
第三は書肆『東洋館』を起し
東西文化の宣傳に努力した出版界の先覺者である。
また日本憲法制定の一礎石となつた
『國憲汎論』の著述も忘れることは出來ない。

   學問の獨立
 梓は安政五年(一八五八)土佐宿毛に生れたが、
  ※嘉永5年2月20日:1852年3月10日
小さな城下町に停まることを潔しとしない彼は、
十八の折、早くも郷關を出て江戸の昌平黌に入學した。
   ―略―
p277【日本英雄伝. 第2巻】昭和11年
〔画像〕p277【日本英雄伝. 第2巻】昭和11年

明治五年、大關增勤の援助で米國へ向ひ、

  blog[小野一雄のルーツ]改訂版
  2016年07月19日
  [資料紹介 小野梓 留学関係資料]『早稲田学報』荒船俊太郎
  大関家文書と「主君」大関増勤

翌年大藏省官費留學生となつてロンドンへ渡り、
彼は法律・銀行・財政等を修めた。
また目のあたり眺めるアメリカの民主政治、
英國の議會政治に羨望を感じ、
その當時、
英國の倫理學界を風靡した
ベンタムの『實利主義』を汲んだ
二十三歳の少壯學者として三年目に歸朝した。
   ―略―
 その他『日本外交論』『條約改正論』『日本財政論』等、
梓が著した書は少なくないが、
今一つ、
彼が英文で綴つた『日本歷史編述』は、
二章十九葉を殘したまま、
終に大成を見ることが出來なかつた。
   ―略―
  才氣過ぎて不遇だつた官途
   ―略―
p278【日本英雄伝. 第2巻】昭和11年
〔画像〕p278【日本英雄伝. 第2巻】昭和11年

   ―略―
 北海道拂下事件が突發し、薩長のボイコットによつて、
明治十四年、

  blog[小野一雄のルーツ]改訂版
  2021年08月04日
  《小野梓》明治14年の政変:
  局面展開の策を籌(めぐ)らしたる時、内閣諸公を評して
  【森有礼と星亨】大正7年

大隈が野に下ると、
彼も直に官職を破れ草履のやうに棄てて大隈の下に走つた。
政黨政治の道に出でなければならぬと、
と計畫してゐた梓は、
彼を中心とする鷗渡會(高田早苗、天野爲之等)を
一方の勢力として立憲改進黨を組織した。
 病弱な彼は政黨の實際運動から遠ざかりがちであつた。
だが大隈の『智慧袋』として彼の背後に附き添つた
彼の論客的な役割は大きい。
當時の大隈の文章演説、
大隈の唇から響く文辭は殆んど
梓の草稿によるものと云つても過言ではない。
壯重華麗な彼の文章は
敎育勅語の草案に關係した井上毅と並んで
『朝に井上毅あり、野に小野梓あり。』
と賛嘆された。

   私立大學の創立
   ―略―
 彼が大學の指導精神とした『學問の獨立』は
東京專門學校の開校式の演説に盡きてゐる。
『その國を獨立せしめんと欲すれば、
 其の精神を獨立せしめざるを得ず、
 その精神を獨立せんとせば、
 必ずその學問を獨立せしめざるを得ず。』
   ―略―
p279【日本英雄伝. 第2巻】昭和11年
〔画像〕p279【日本英雄伝. 第2巻】昭和11年
昭和十一年三月十二日印刷
昭和十一年三月十七日發行  第二回配本
    日本英雄傳 第二巻
      定價壹圓
著作者 日本英雄傳編纂所
    代表 樺山寛二
    東京市本郷區本郷一ノ三
發行者 加藤雄策
    東京市小石川區表町一〇九
印刷者 君島 潔
    東京市小石川區久堅町一〇八
發行所 非凡閣
    東京市小石川區表町一〇九
    電話・小石川六六一〇
    振替・東京三六三三九
共同印刷株式會社印刷
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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