〔田中定義翁・田中半之丞〕船井郡高原村字豐田
【現代船井郡人物史】大正5年

【現代船井郡人物史】大正5年
〔田中定一君〕   p39-40/157
   醫師
   船井郡須知町字須知
〔田中定義翁〕   p40/157
   船井郡の先覺者
 田中家は代々船井郡高原村字豐田に住し
郷士を以て重く用ひられたる舊家なり、
前代田中定義氏又の名を半之丞と稱す、
頗る聰明博識にて非凡の頭腦を有し
其少壯笈を京師に負ひ
典藥中山氏の塾に醫を修め
歸郷と同時に開業したるが
當時開業者僅少の爲め
頗る隆盛を極めたり
氏は亦劍道弓術を好み庭内に道場を設けて
刀圭業の餘暇村内の靑年に敎道して倦まず
其老年に達するも專ら武士道鼓吹に努めたる爲め
今尚同地方に劍客の多きは是れが爲めなり、
明治元年(1868)
山陰道鎭撫使として西園寺公の入丹せらるゝに當り
卒先扈從の命を蒙り
丹波丹後の地を案内したるが如きは家門の譽たり、
斯く氏は刀圭を業とせるも頗る政治思想に富み
明治八年(1875)豐田戸長となり、
府縣制の實施せらるゝや府會議員となり、
郡會議員となり、
學事、衛生、農牧の諸職に參與する等
兎に角地方に於ける先覺者として
自由民權を唱へ政黨の爲には
一方の旗頭として郡民を操縦し
一時は却々に勢力を有したる政治狂たりしなり、
然して氏は馬を愛して常に名馬を養ひ
外出は騎馬を事とし風采邊を拂ひ
眞に古武士の慨あらしめたり、
明治四十三年(1910)八月古稀の齢を以て
第十五回武德祭演武會に臨み
總裁宮殿下より賞狀を下賜せられたるは晩年の名譽たり、
終始一貫國家の爲に貢献有終濟美を以て
一昨冬逝去せられたるは惜むべきなり
 ※大正4年(1915)冬
其在世中
門弟相圖りて頌德碑を建設し
後世に傳るが如き其德の高きを知るべし

 氏は〔田中定一君〕は其長子にて
元治元年十二月五日 ※1865年1月2日
高原村字豐田に呱々の聲を擧ぐ、
明治六年(1873)九月同村小學校に入り
十年(1877)八月卒業
十年(1877)九月より同村木島恒太郎氏に和漢學を修め、
          ※木島恒太郎:下記に記載
十二年(1879)九月京都府立獨乙學校に入り
十四年(1881)七月修業
十四年(1881)九月京都醫學校に醫學を修め
二十年(1887)五月卒業、
六月證書を得て歸郷
嚴父の業を繼ぎしが
明治二十六年(1893)二月須知町に轉じ
現在の地に開業以來今日に至れり、
二十八年(1895)須知町醫を囑託せられ、
二十九年(1896)四月有隣生命
三十年(1897)五月内國
三十一年(1898)五月共濟生命の
各保險株式會社の診査醫囑托を受け、
明治三十一年(1898)九月西部高等小學校醫、
三十四年(1901)十月一日竹野村醫及小學校醫を囑托せられ
三十六年(1903)四月大同生命、愛國生命の兩株式會社の診査醫、
四十一年(1908)二月帝國鐵道廰福知山建設事務所管内
舞鶴線綾部起點第四工區に於ける衛生事務を囑托せられ、
四十一年(1908)六月船井郡立實業校々醫となり
四十二年(1909)十一月國光生命保險の診査醫をも
囑托せられたるが
四十三年(1910)八月福知山建設事務所閉鎖に付き
衛生事務を解雇せられたり
四十四年(1911)四月富田小學校醫
並に下山小學校醫の囑托を受け
大正元年(1912)十月仁壽生命並に帝國生命の
兩保險會社の診査醫を囑托せられて今日に至れり、
 君は温厚直實にしてお世辭を以て患者を吸収することなく
極磊落に遠慮なく其思ふ處を云ひ放ち
毫も飾り氣なく淡泊なる爲め
付合ひ易き先生として好評を博し門前常に盛なり、
同家は代々眼科を以て名聲ありしが
君亦眼科を特長とせり、
嗜好は圍碁と茶道にて茶器と云へ
ば金を惜まず購入し有るが上に
幾何でも購買すると云ふ道樂あり、
令息は目下岡山醫專に修學中にて
田中家の隆盛期待すべし、
君幸に健在鶴壽を祈る。
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月03日
《明治時代の京丹波町(旧 瑞穂町・丹波町・和知町)の医師》
【日本医籍】内務省衛生局 忠愛社 明治22年8月8日出版
[田中 定一]船井郡豐田村
[田中半之丞]何鹿郡私市村
【日本杏林要覧】日本杏林社 明治42年12月28日発行
[田中半之丞] p144/976 原本p184
従来17年5月 京都平民 天保14年生 高原村豊田91
[田中定一]  p144/976 原本p184
医学校20年9月  京都平民 元治1年生  須知町字本町29
【京都府立医学専門学校一覧】[第1冊]明治36-37年 
明治36年8月13日発行
明治20年2月 第6回卒業生 12名 p41/77
[田中定一] 開業 京都平
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年04月26日
《船井郡高原村 紅村義塾 木島恒太郎》【船井郡誌】大正4年
紅村義塾は
島根縣人 木島恒太郎が ※島根県⇒鳥取県
明治九年頃 大字豐田に開設したるものなり、
經書、史書を授け塾生十名内外あり、
二三年にして閉鎖したり。
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