輝國館は大字豊田の田中半之丞氏【船井郡誌】大正4年

【船井郡誌】大正4年
   第十六章           p145/196
輝國館は大字豊田の田中半之丞氏が  p147/196
明治八年の頃より自宅に設立せる武道敎習塲にして
館生常に百二三十名あり。
其規定左の如し。
  輝國館規定
第一條 本館ヲ輝國舘ト稱ス
第二條 本舘ハ撃劍、弓術、兩道ノ師範及ヒ
    斯道熱心家ヲ以テ組織ス
第三條 館員ハ斯道ヲ研究スルト共ニ道德ヲ實行シテ
    其ノ品位ヲ高メ親睦ヲ醇クスルヲ目的トス
第四條 館内ニ在リテハ專ラ武德ノ修養ニ勉メ
    苟モ非禮卑劣ノ言行ヲナシ
    本館ノ神聖ヲ汚スヘカラス
第五條 武道講習日左ノ如シ
 日曜日
 一月五日ヨリ三月下旬マテ
 七月中
田中氏は淸和源氏の流、
臼杵五郎泰時の後なり、
其先足利尊氏に屬し、
元弘建武の戰に參加し
禁裏守護北面の士となり、
洛外田中村に住せしが、
其子孫應仁の合戰を避けて
紅村に來り住せりといふ。
半之丞夙に直心影流劍術に熟達し、
明治四十三年八月
大日本武德會に於て總裁貞愛親王より
其術の精錬なるを證明せられ、
四十四年三月同會京都支部園部支所長より
名譽敎師を囑託せられたり。

紅村義塾は
島根縣人 木島恒太郎が ※島根県⇒鳥取県
明治九年頃 大字豐田に開設したるものなり、
經書、史書を授け塾生十名内外あり、
二三年にして閉鎖したり。
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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