《林田彌壽夫》農牧学校1期生(明治9年入学11年卒業) 
【現代加佐郡人物史】大正6年

平成17年(2005)、  p2/8
元京都府立須知高等学校教頭であった
拝師暢彦氏によって、
『御雇外国人J.A.ウィードの六年間―京都府農牧学校物語―』
が刊行された。
乏しい資料を丹念にあたってまとめた労作である。
主な典拠資料は京都府立総合資料館所蔵・刊行資料である。

さらに拝師は、   p4/8
農牧学校1期生・林田弥壽夫の
「明治九年四月京都府立農牧学校に入学、
 教師米国人ゼームスオースタインウヰードに洋籍を教わる。
 国書は能見識之助[ママ]に教わる。 ※能美織之助
 卒業後農事に従事す」という回想を紹介し、
能美は通訳で、ウィードによる英語での講義と並んで、
能美による「我が国の書籍を用いての教育が行われている」
と整理している。
[京都府農牧学校に関する資料]
誌名     農村研究
ISSN     03888533
著者名    友田,清彦
発行元    東京農業大学農業経済学会→食料・農業・
       農村経済学会 (121号-)
巻/号     109号
掲載ページ  p. 93-99
発行年月   2009年9月
農林水産省 農林水産技術会議事務局筑波産学連携支援センター
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【現代加佐郡人物史】大正6年
 加佐郡會議長  p19-20/97
  林田彌壽夫君
    加佐郡舞鶴町字新町
 氏は安政五年六月 ※1858年7月
加佐郡岡田中村字西方寺に生る、
前代議士 上野彌一郎氏の令弟なり、
明治十九年(1886)
現住地林田家の養子となる、
實家上野家は忍壁親王の末裔にして
地方稀有の名家なり
林田家亦舞鶴町に於ける舊家にして
龜屋と稱し酒造を業とす、
系譜の記すものあらざれば
其詳細を知る能はざれども
現主を以て十一代となせり、
氏は幼時舞鶴藩士 新開赳夫氏に就て學を修め、
明治九年(1876)
京都府立農學校に入學し
同十一年(1878)卒業
以來自邸にありて酒造業に從事せり、
 ―略―
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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