和泉式部の墓(京丹波町中台桜梅)【丹波風物誌】昭和57年(1982)
【丹波風物誌】昭和57年(1982)
国立国会図書館/図書館・個人送信限定 図書
湯浅貞夫 著 (文理閣, 1982)
平安貴族の恋の通い路 p16/90
和泉式部の墓(瑞穗町)
船井郡瑞穂町字中台、
※船井郡京丹波町中台桜梅一番地
西岸寺の鐘が聞けなくなってもう五年になる。
※数年前から地元有志の方が
12時と17時(夏は18時)に
鐘を衝いて居られる。
雪深い越前の永平寺で荒行をしたという
蒔那喚道師が亡くなって、
この寺は無住となった。
それでも境内の西隅にある和泉式部の墓は
線香こそたっていないが、
だれかが世話をしているのだろう、
周囲の草がきれいに刈ってある。
苔むす宝篋印塔は、
隅飾突起が直立し時代の古さを表している。
黒髪の乱れも知らず打伏せば
まずかきやりし人ぞ恋しき
和泉式部
和泉式部は、先ず橘道貞と結婚する。
次に為尊親王と結ばれた。
そして敦道親王との灼熱の恋。
さらに道長の家司・藤原保昌との愛の遍歴。
夫・保昌は丹後の国司として府中にいた。
和泉式部は大江山を越え幾度か
丹波の山野を往きかったことだろう。
娘・小式部内侍も相当な歌人であった。
ある時宮中の御歌会の席で
「歌才豊かな母君がいなくて御心配でしょう」
とからかわれた。
小式部内侍は即座に
大江山生野(いくの)の道の遠ければ
まだふみもみず天の橋立
とやり返した。
律令時代、都から各地に派遣された
受領(づりょう)達の女房、
奴隷労働に寄生する貴族の女御(にょうご)、
恋と遊びに明け暮れた平安の宮廷歌人、
たしかに感情の詩的表現はうまい。
和泉式部は都への帰路、
草深い丹波路でたおれたという。
ここに建てられたのが西岸寺の宝篋印塔である。
ところで、和泉式部の墓は、
誠心院智貞尊意の戒名で、
全国に十三もあるという。
歌(佳)人を慕う、
ゆかりの人は、
遺骨、遺品を各所にわけ、
このような供養塔を建てたのであろう。
この優雅な和泉式部の夫君・藤原保昌の弟は、
都大路に出没した大盗賊袴垂保輔だというから、
歴史の真実というものは全く皮肉なものである。
〔画像〕【丹波風物誌】昭和57年(1982)p16
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9576135/16
著者紹介
湯浅貞夫
一九二八年 京都府園部町で生れる
現在 日本共産党京都府委員
衆議院議員 寺前いわお事務所事務長
主著 『歴史の群像』『いばらの道』
住所 京都府船井郡日吉町字下保野田
TEL 〇七七一七(二)〇一四六
丹波風物詩
1982年11月30日発行 ¥1,200.
著 者 湯浅 貞夫
発行者 黒川美富子
発行所 図書出版 文理閣
京都市下京区七条河原町西南角
TEL 075(351)7553
ISBN4-89259-056-8
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9576135/88
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年07月28日
[和泉式部之由来]西岸寺:京都府船井郡京丹波町中台桜梅
『西岸寺所蔵文書』
本誓願寺由来
本尊阿弥陀出来記
並 和泉式部因縁記
中臺村 西岸寺
PDF:[和泉式部之由来]西岸寺
[和泉式部之由来]
人皇六十六代一条院の皇后 上東門院の侍女に
和泉式部と言いしは越前守雅致公の娘
和泉守(かみ)橘の道貞が妻女なり
故に夫の名によせて和泉式部とは申せしなり
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2017年12月19日
安養山 西岸寺(元松壽山誓願寺)1/2[檜山村誌]平成5年4月
宗 派 曹洞宗
所在地 字中台小字桜梅一番地
※京丹波町中台桜梅一番地 ※桜梅(さくらうめ)
開 創 天智七年(六六八)
開 基 和泉式部念称恵意比丘尼
本 山 吉祥山 永平寺
諸嶽山 総持寺
又西方五十米の所に式部の墓といわれる宝篋印塔あり