大隈重信 服部知事殿 小野安子嬢持參 明治41年2月14日
【服部一三翁景伝】昭和18年

【服部一三翁景伝】昭和18年
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図書 服部翁顕彰会 編 (服部翁顕彰会, 1943)  

拜啓、時下餘寒嚴敷候處、益々御淸穆奉慶賀候。
陳者甚だ突如の次第に御座候得共、
本書持參の小野安子嬢は故小野梓君の遺子に御座候。
今般貴縣下に於て小兒科を專問として女醫開業の段、
熱心希望の者に御座候。
就ては御多忙中御迷惑には候へ共、
御引接なし下され萬事可然御高配に預り度
右御依賴申上度得貴意候。
   二月十四日   早々 敬具
        大隈重信
 服部知事殿  小野安子嬢持參
 【服部一三翁景伝】昭和18年p128
〔画像〕【服部一三翁景伝】昭和18年p128
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 『図録小野梓』p98大隈重信書簡(服部一三宛)2月14日
〔画像〕『図録小野梓』p98大隈重信書簡(服部一三宛)2月14日

昭和十八年十二月十五日印刷
昭和十八年十二月二十日發行 (非賣品)
編纂者 勝田銀次郎
    神戸市灘區上野通七丁目七四
印刷所 森田印刷所
    神戸市神戸區北長狹通一丁目三〇
印刷者 森田壽三郎
    神戸市神戸區北長狹通一丁目三〇
發行所 服部翁顯彰會
    神戸市神戸區下山手通六丁目
    神港倶樂部内
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1080984/184
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年2月1日11:29:36
[小野安(安子)] 《女医への道》-01
明治41 年(1908) 大隈重信書簡(服部一三宛)2月14日
小野梓三女安子(1883-1966)は緒方病院で医学を修め、
1910(明治43 年)年代初め頃に神戸で小児科病院を開業した。
その際、大隈が兵庫県知事服部一三に安子を引き合わせて、
「萬事可然御高配」を依頼した紹介状。
(早稲田大学大学史資料センター蔵)『図録小野梓』p98
[大学創立一二五周年記念 生誕一五〇周年記念]
[図録 小野梓]《立憲政治の先駆・大学創立の功労者》
「発行 早稲田大学 2002年3月10日発行」

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年5月5日18:24:55
《父、小野梓のこと》小野安:[早稲田學報]昭和30年11月号

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年8月18日05:55:02
M4012《助産之栞》(139號)明治40年(1907)12月
◎同仁會會長大隈伯の演説
同氏女醫及助産婦養成に就て
大阪支部演説の大要を前號に掲載せしも
今東京總會の演説を得たれば茲に掲ぐ
尚演説中の早稻田大學創立者
故小野梓氏令嬢安子氏は
永年緒方博士の許にて醫學を研究し女醫となり
續て産婦人科研究の上
福岡醫科大學に於て小兒科を研學し
目下神戸にありて獨逸學を專心研究中なりと聽く
尚々同氏當院に在て研究中は
本誌編輯に少なからず貢献せらるゝ所ありき
 ―略―
併しながら近年は東京邊にても女子にして醫學を修むる人が
追々に增して來たのである
大阪にも少しはあるだろうと思ひますが
私は只今熱心に醫學を研究されて居る
婦人にお目に懸つて來た
これは早稻田大學の創立者の一人たる
小野梓といふ名高い人のお嬢さん
殊に今より二十五年前
早稻田大學創立のときに生れたお嬢さん、
今二十五歳になる其のお嬢さんが
福岡大學に於て醫學を研究した
全体醫科大學に於てさふ云ふ婦人を入れることは
規則が許さぬと云ふやうなことで、
餘程面倒であつたが
さう云ふ熱心なる人の事であるからと云ふので
特殊の法を設け
漸く許されたと云ふのである
故に婦人の醫學を修むのは
目下の急務であると信ずるのであります
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