《杉田つる子》女醫會の評議員 
杉田玄白先生は女史の祖先なり
【日本婦徳の鑑:昭和大典記念】昭和6年

【日本婦徳の鑑:昭和大典記念】昭和6年
 日本婦德の鑑刊行に就て   p6-7/506
 昭和六年十二月十五日
 東京婦人新聞社々長 藤廣憲藏
 目 次           p8/506
續篇第五篇 現代婦人錄    p251/506
《杉田つる子》        p275/506
 東京市本郷二丁目一四
明治十八年十二月東京に生る、
杉田家は代々醫を業とし、
西洋醫學を日本に輸入せる
杉田玄白先生は女史の祖先なり
父君は醫學士、
神戸にて内科病院を開き有名なり、
五十歳頃より病床に臥すこと十數年、
女史が醫學に志したる動機も
病父の業を手助けせんと
發奮したるによる、
神戸湊東女學校を出で
大阪關西醫學院に數ケ月通學して
前期に合格、
更に東京日本醫學校(日本大學前身)に學び
後期に合格、
今や東京に於て小兒科醫院を經營し聲望あり、
吉岡彌生女史を會長とする女醫會の評議員、
日本小兒科學會東京地方幹事、
竹田宮大妃殿下を總裁と仰ぐ
育兒會幹事等を勤め、
婦選獲得同盟會員としても活動す、
幼少より文學を好み
獨佛文學書を渉猟す、
和歌、俳句、油繪に堪能、
白樹社同人たり、
基督敎を信ず。
現代婦人錄索引        p492-504/506
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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