《保田八千代》長女は彌生高女:大連市楓町
【日本婦徳の鑑:昭和大典記念】昭和6年
【日本婦徳の鑑:昭和大典記念】昭和6年
日本婦德の鑑刊行に就て p6-7/506
昭和六年十二月十五日
東京婦人新聞社々長 藤廣憲藏
凡 例 p7-8/506
昭和大典記念 日本婦德の鑑 p8-12/506
目 次
《保田八千代》 p392/506
大連市楓町三八
明治二十五年八月
故平塚金吾氏の長女として
長野縣東筑摩郡廣立村に生る、
長野縣立松本高等女學校を卒業し、
大正三年初めて滿洲の地を踏み、
奉天に至り保田文雄氏と當地に於て婚す、
夫君は拓殖大學出身にて目下
油脂工業株式會社專務取締役を勤む、
夫人は次で大連に移る、
夫君滿鐵本社に勤務したるが爲めなり、
滿鐵を退き日淸油房に入り
大正八年倫敦に轉勤に際しては
夫人は十一年彼地に至り、
大正十四年大連に歸へり、
一時内地に居住し、
昭和四年三度大連に來たり今日に及ぶ、
各地に轉々し、見聞博く、
淡泊にして無邪氣なり
夫君との間に一男三女あり
長女は彌生高女に
次女・三女は何れも南山麓小學校に
長男は幼稚園にあり、
洋裁、手藝に趣味を有す。
續篇第五篇 現代婦人錄 p251/506
(記事内容は豫約當時調査現在とす。)
(索引巻末に附す。)
現代婦人錄索引 p492-504/506
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇