《西山文子》夫君西山左内氏は
東京帝大を卒業・關東廰財務部長
【日本婦徳の鑑:昭和大典記念】昭和6年
【日本婦徳の鑑:昭和大典記念】昭和6年
日本婦德の鑑刊行に就て p6-7/506
昭和六年十二月十五日
東京婦人新聞社々長 藤廣憲藏
凡 例 p7-8/506
昭和大典記念 日本婦德の鑑 p8-12/506
目 次
《西山 文子》 p394/506
旅順市高碕町六
明治二十三年十一月、
故西山省吾氏の長女として
仙臺市北一番町に生る、
東京府立第三高等女學校を卒業し、
十八歳にして夫君を迎へて結婚す、
夫君西山左内氏は群馬縣狩野淸八氏の四男にして、
東京帝大を卒業し、目下
關東廰財務部長を勤む、
夫人は大正十年旅順に渡り
爾來東京との間を往來し、
末子のみ當地に住し、
他は東京に在り、
優しき中に理性の閃めきを見せたる美しき美人、
大連の生活には安易なるも ※大連⇒旅順
無刺戟にて精神的に退歩するを嘆ず、
長女は不幸早世す、
長男俊三氏は東商大に
次女は東京聖心女子學院に、
三女は同小學部に在學中たり、
謡曲、小鼓、大鼓をよくし、
圓滿なる家庭を營む、
篤志看護婦々人會評議員兼幹事を勤む、
令妹は朝鮮總督府遞信局長
山本犀藏氏夫人なり。
續篇第五篇 現代婦人錄 p251/506
(記事内容は豫約當時調査現在とす。)
(索引巻末に附す。)
現代婦人錄索引 p492-504/506
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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