《安井莊次郎君》安井航空機研究所主
昭和3年10月30日殉職
【航空殉職録 民間編】昭和11年

【航空殉職録 民間編】昭和11年(1936)
著者    航空殉職録刊行会 編
出版者   航空殉職録刊行会
出版年月日 昭11

安井航空機研究所主  p180-181/184
二等操縦士  安井莊次郎君
  京都 西陣
  昭和三年十月三十日殉職
 君は京都西陣の染物問屋の息子として生る。
實家は非常な資産家なりしが、
君幼少の頃より飛行機に趣味を持ち、
大正六年大阪に於て開かれし
子供博覽會に於て、
高左右隆氏の出品せし
ホールスカツト六十馬力の發動機を買入れ、
自ら飛行機を製作し
之を各務ヶ原が未だ陸軍飛行場とならざりし前に
同機を同所へ持ち出し、
單獨にて練習飛行を始めたるを第一歩とし、
あらゆる辛酸を嘗め、
飛行界に在る事十有二ヶ年の長年月に亘り、
民間飛行家の長老として一角に重きをなし、
京都市外須知町に自ら安井航空機研究所を設け、
飛行機操縦士の養成に努め、
君の爲利する者多數ありたりしが、
昭和三年十月二十一日
大阪市木津川尻の國際飛行場を根據地とし催されたる、
帝國飛行協會主催の御大禮記念特別飛行大會に
君も選ばれて參加し、
優秀なる成績を以て其競技を終へ、
其後數日國際飛行場に滯在せしが、
十月二十五日須知町に歸航せんと
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〔画像〕p180【航空殉職録 民間編】昭和11年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1219241/1/180

午後二時五分、
愛機甲式三型を操縦し離陸、
約十米の高度に達せし時
發動機に故障を生じ、
忽ち錐もみ姿勢となり左に半旋回をなし、
場の東北隅に墜落、
兩翼を大破し、
君は右前額部に長さ十ミリ
骨膜に達する重傷を受け人事不省に陥り、
直ちに駈け付けし地上員に依りて
港區鶴町二丁目賀用病院に入院し、
手當を受けたりしが
胸部の打撲傷等の致命傷に依り、
遂に六日目の十月三十日午前七時三十分逝けり。
 君の業績は比較的に地味なる飛行生活を爲せし爲か、
古參熟練者乍ら割合に名をうたはるゝ機會少なかりしも、
專心後輩の敎育に務めたる事は特記すべき事にして、
又關東大震災には義侠的に
各務原、大阪間に郵便物の輸送飛行を行ひ、
帝國飛行協會より有功章を附與されしは
君の飛行生活を飾る一頁也。
  航空殉職錄 民間編 終り
昭和十一年四月 十日印刷
昭和十一年四月十五日發行 航空殉職錄 民間編 奥附
發行兼 淺田 禮三
編輯人 東京市四ツ谷區上馬町三丁目千六番地
印刷人 堀  修造
    東京市牛込區榎町三十四番地
印刷所 大日本印刷株式會社
    東京市牛込區榎町七番地
發行所 航空殉職錄刊行會
    東京市京橋區築地三丁目八番地
    會 長 陸軍大將 井上幾太郎
    副會長 海軍中將 安東 昌喬
    副會長 陸軍中將 淺田 禮三
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〔画像〕p181【航空殉職録 民間編】昭和11年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1219241/1/181
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