《近藤一進・丹波檜山》《山内競・丹波の保井谷》
【芸備医事 第34年(10)(397)】1929

【芸備医事 第34年(10)(397)】1929
出版者   芸備医学会
出版年月日 1929-10
   史  談
  關西蘭學の開祖 橋本宗吉と我竹原 p6-/18
          醫學博士 呉 秀三
[橋本宗吉]
名を直政(初)・鄭(後)と云ひ、字は伯敏。
伯軒・曇齋 又は絲漢堂と號し、
宗吉とは其通稱なり。
寶曆十三年大坂の北堀江にて生る。
 -略-
https://dl.ndl.go.jp/pid/1475019/1/6

天保七年の五月朔日同所に於て
病によりて死亡し、享年は七十四にして
 -略-
https://dl.ndl.go.jp/pid/1475019/1/8

門人には前に記せる
藤田顕藏・橋本季齋・務中修平・中環の外に、
花野井有年・政田義彦?・中喜久太・平田政則・田宮宣哉・
大高宗肅 字 之@、大阪の人
近藤一進 中齋と號し、丹波檜山の人
柴岡孝柔 備前の藩醫なり
米野準則 豐後の人
濱口 融 彦人と稱す、肥後八代の人
倉茂 軌 字は文伯、攝津の人
山内 競 發齋と號す、丹波の保井谷の人
天野 蓬 左近と稱す、安藝奥海田の人
靑山 靜 秀平と稱す、丹波龜山の人
三宅高經 速水と稱す、阿波中の島の人、
     醫學博士 三宅速君の祖先なり
豐田 堅 幹林臺と號す、周防の岩國の人なり
高市 彬 立助と號す、阿波西原の人
大藏永常 等あり
 -略-
p19【芸備医事 第34年(10)(397)】1929
〔画像〕p19【芸備医事 第34年(10)(397)】1929
https://dl.ndl.go.jp/pid/1475019/1/9

【日本医史学会関西支部 編】1961
出版者   日本医史学会関西支部
出版年月日 1961-11
  中川修亭 安永二(一七七三)~嘉永三(一八五〇)
随鷗塾での同門関係の藤林普山が訳した
「和蘭薬性弁」の参校者として、
新宮凉庭、近藤一之進、山内競と名を並べているのである。
近藤、山内の両者は曇斎・橋本宗吉の門人である。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3384018/1/15
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