《丹波檜山の近藤一之進》新宮凉庭先生事略
【医文学 7(3)(68)】1931-03
【医文学 7(3)(68)】1931-03
出版者 医文学社
出版年月日 1931-03
新宮凉庭先生事略 p26-29/38
菅 竹 浦
https://dl.ndl.go.jp/pid/1886920/1/26
五、崎陽遊學 p29/38
此年、丹波檜山の近藤一之進といふ人の宅で、
先生は偶然にも宇田川玄隨の譯書内科撰要を手にし、
書中の黄疸篇を一見し、
其論理の甚だしく詳悉明確なるに感歎し、
茲にゆくりなく和蘭醫學の必修すべきを悟り、
萬難を排し、
長崎に遊學することの急要なるを思立たれた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1886920/1/29
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【朽木昌綱公】昭和13年
著者 京都府立福知山中学校 編
出版者 京都府立福知山中学校
出版年月日 昭13
福知山藩士ではないが、 p34/57
縁故あるものには新宮涼庭がある。
-略-
二十一歳の時偶々
丹波檜山の近藤一之進宅で
宇田川槐園の内科撰要黄疸篇を一見し、
その病理を論ずること詳悉明確なるに感歎して、
こゝに始めて和蘭醫學を修めむと、
奮を發して遂に長崎に赴き、
とゞまること凡そ八年、
蘭醫ヘールケ及びバライに敎を受け、
歸國後京都に開業し蘭方の大家として名を當代に馳せた。
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【庵我村誌】昭和11年
著者 四方源太郎 [編]
出版者 庵我村
出版年月日 昭和11
(別 紙) p27/86
柴田一九郎 船井郡檜山代官 近藤一之進 受印
https://dl.ndl.go.jp/pid/1104167/1/27
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