世木澤藤三郎傳【旭川市功労者伝】山崎有信 著 昭和15年
【旭川市功労者伝】昭和15年(1940)
著者 山崎有信 著
出版者 日本書院
出版年月日 昭和15
世木澤藤三郎傳 p51-52/135
世木澤藤三郎氏は明治九年九月三日
京都府船井郡竹野村字新水戸に於て、
與市 長男として呱々の聲を舉ぐ。
氏は小學校卒業後、
郷里にあつて專ら農業に從事し、
明治三十一年七月十三日
年齢二十二の時
同村 口八田 船越源七の長女よしを迎へて
華燭の典を舉ぐ、
時に よし二十二歳なりき、
氏は郷里にあつて農業に從事しては
到底滿足出來ずと、
奮然起つて明治三十三年四月十六日渡道し、
旭川に來り一ケ年間家族は專ら農事に從ひたるも
其の間氏は僅に三日間農事を爲し
他は調査研究に餘念なし、
明治三十四年四月 米穀商を開業
二十四年間卽ち大正十三年迄繼續せしが、
是より先、大正七年以來酒造業を兼營し、
大正十四年に至り他の業を癈し酒造業を專一とし、
銘酒「千代の澤」及「登鶴」の名聲全道に喧傳し、
造石高三千八百石に至りしと云ふ。
是れ全く氏の奮闘努力の結果と云ふべし
氏の公職としては
大正九年六月三日
一級區會議員に當選、
現在に於ても市會議員、
大正八年十二月
商業會議所設立當初より其の議員となり、
且つ常議員を十二ケ年間繼續
目下顧問たり
其の他
旭川火災豫防組合聯合會長、
旭川方面委員協
https://dl.ndl.go.jp/pid/1054964/1/51
會長等に就職し
氏子總代。
事業關係は
旭川肥料株式會社社長、
旭川商事株式會社、
旭川市場株式會社、
旭川瓦斯株式會社の重役にして
其の他
旭川雜穀商組合長、
酒造組合の副組合長等
枚舉に暇あらず。
昭和十四年三月
旭川市防空兵器獻納會へ金壹萬圓を寄附せり。
氏 時局に付ては銃後後援會副會長として活動。
昭和十三年二月十一日
紀元の佳節に當り
旭川市の功勞者表彰規程第一條第一項第一號の
本市の交益に關し功勞顯著なりと認むる者とあるに
該當せるものとして
旭川市長 井上英より表彰せられ又
陸軍特別大演習の際は
御賜餞の光榮に浴したるは
誠に一家の名譽なりと云ふべし。
昭和十三年五月十四日
皇后陛下の御名代として
賀陽宮妃敏子殿下の御來道に際し
軍事關係の功勞者として
道廰に於て特別奉拜、
石黑長官より感謝狀を受く。
氏 今や家業の全部を
三條通十八丁目右四號を長男登に譲り。
登は昭和十二年三月五日
家督相續人として、
相續を爲し
業務益々發展せりと云ふ。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1054964/1/52
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