《京阪電車》線路の急に曲ってゐる七條の南
【京物語】昭和5年(1930)

【京物語】昭和5年
著者    青山霞村 著
出版者   警醒社
出版年月日 昭和5
  御  籤
ある人が五條から京阪電車に乘つて洛南の家へ歸る時、
線路の急に曲つてゐる七條の南へ來ると、
乘客一同は不意に左右に揺られた。
p66【京物語】昭和5年
〔画像〕p66【京物語】昭和5年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1187597/1/66
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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1910年(明治43年)4月15日に最初の路線として
大阪・天満橋駅 - 京都・五条駅
(現・清水五条駅)間が開業した。
阪神電気鉄道などと同様に軌道特許で開業したため、
当初は併用軌道や急曲線が至る所にあり、
「京阪電鉄“カーブ”式会社」
とも揶揄されたほどであったが、
それを克服するため様々な技術開発が行われた。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年02月28日 07:24
《柴田金三郎(父):柴田つぎ(母)》
<チャー坊(“村八分”)の生と死>
洛西ニュータウンのマンションで、
お母さん(柴田つぎ)の話。
※お父さん(柴田金三郎)が元気な頃、
 向日町競輪場で、騒ぎがあった。
 誰かが、「柴金」が来てると叫び、一騒動、
 一件落着と云っても二日かかった。
 お父さんが、新聞紙で包まれた束を、
 紐にぶら下げて帰って来た。
 中を開けると、百円札が一杯、入っていた。
 お父さんは、その時、初めて向日町競輪場に行った。
 その後、そのお金は、全部、競輪に使った。
この話は、お母さんから、私が直接、聞きました。
※京阪電車から全線無料定期券が、
 お父さんの歿後何年も送られていた。
※お母さん(柴田つぎ)の葬儀
 (伏見区向島庚申町・昭和58年(1983)4月)に、
 篠原組の供花があり、若い衆が数人、参列していた。
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