《伊賀とら・お寅さん》明治44年5月23日【照葉懺悔】昭和3年

【照葉懺悔】昭和3年
著者    高岡辰子 著
出版者   騒人社書局
出版年月日 昭和3
 p3【照葉懺悔】昭和3年
〔画像〕p3【照葉懺悔】昭和3年
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    金春日記
   まへがき(新橋へ出るまで……)
 私が十六の年、大阪に居るのがいやになつて、
新橋の新叶家の淸香さんを賴つて
初めて東京の土地を踏んだ當時、
覺束ない筆で(今考へますと、感想文のつもりで)
幼稚な文を綴つておきましたのが、
不思議にも現在私の手元に殘つてをります。
 あの當時のものは何一つ寫眞一枚すら
殘つてをりませんのに、
書いたものが、けふまで、
私から離れずに居たのは、
自分でも理由がわかりません。
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(明治44年)五月廿三日
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『遠慮なさらないで、たくさんお上んなさい……
 随分小食ですのね……。』
 おかつちやんは、お給仕しながらさういつた。
 私は、たゞ『おゝきに おゝきに』といつて、
おじぎばかりしてゐた。
 姉さんが、にこにこ笑つて
裏二階の方からおりてきた。
『お早うさん……。』といつて私は丁寧におじぎをした。
『けふはね……、一度唐人髷に結つて來てごらん……
 都合で今夜御挨拶に連れて行かうかと、
 思つて居るからね……
 おけいこは休んでいゝから髪を結つといで、
 おかつお前、このこを、
 お寅さんとこへ連れて行つて、
 ふつくらとした、
 唐人髷に結つて下さいつて、
 一緒について行つて、
 よく賴んでおくれ。』
 姉さんはかういひながら、
私の髪の毛を、じつと眺めたゐた。
『生際がいゝから、日本髪の方がにあふだらうよ……。』
 姉さんの眼は、私の顔中見てゐる。
 おかつちやんに連れられて、お寅さんとこへ行つた。
 お寅さんの家は、見番の直前だつた。
きたない家中に、大勢のすき手さんが、
せつせつと、藝者や、おしやくの髪に、
すき櫛をかけてゐた。
 お寅さんは、よう、こえた男のやうな聲の人だつた。
私が大阪言葉でものをいふと、
お寅さんも上方なまりの口調で答へてくれた。
私は、何よりも嬉しく、懐しく思うた。
 私の番が來たので、大きな鏡の前にすわると、
お寅さんは、しみじみと、
鏡の中に映つた私の顔を眺めて、
『えゝ顔してはるな……、
 お披露目しなはつたら、
 えらい人氣出まつせ……
 淸香姉さん、
 よろこんではりますやろ……。』
 お寅さんが、あんまり、づけづけいふので私は、
何んとも返事のしようがなかつた。
 初い初いしい唐人髷に結つてもらうて、
私は、喜んで家へ歸つた。
が直いやな事が頭に浮かんできた。
 今夜、姉さんに連れられて、
御挨拶に行かねばならぬ……、
どんなお客のところへ連れて行かれるのか、
いやなことや……、
鏡臺の前で。
  午後二時半
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   照葉と名乘つてから
 金春日記に書いてあります通り、
私は明治四十四年六月十五日から、
向ふ五ケ年の年期で、
新橋の新叶家の淸香さんに、
三千圓の身の代金で抱へられる事になつたのです。
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(明治44年)七月二日
 晴—
 七時半起床、
眠たい目をこすりながら髪を結ひに、
お寅さんとこへ駈込む。
髪が結へて、家へ歸ると、お風呂が沸いてゐる。
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 無事にお披露目も濟んだし、
今夜はゆつくり寝て、
明日十一時頃に起きて髪結ひに行かう―。
  夜二時半。
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昭和三年二月二十八日印刷 照葉懺悔
昭和三年三月 三 日發行 (定價金壹圓八拾錢)
著 者 高岡 辰子
發行者 村松 義一
    東京市神田區材木町二番地
印刷者 野口常太郎
    東京市神田區三崎町三丁目五十六番地
印刷所 友文社印刷所
    東京市神田區三崎町三丁目五十六番地
發行所 騒人社書局
    東京市神田區材木町二番地
    電話 浪花二〇七五番
    振替東京二六〇〇八番
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図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[高岡 智照](たかおか ちしょう)
(1896年(明治29年)4月22日 – 
1994年(平成6年)10月22日)は、
東京・新橋 (花街)の人気芸妓から、
のちに出家して京都の祇王寺を再興した尼僧。
照葉時代(東京)
この指つめ事件(1911年)がスキャンダルになり、
「明治44年」大阪に居づらくなったため上京。
新橋芸妓の清香
(後藤猛太郎伯爵の愛人で
 向島に別荘「香浮園」を持っていた)が
3000円の借金を肩代わりして引き取った[24]。
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