《伊賀とら》義侠者の伊賀お寅
[下山京子]仲居變装記 常盤花壇
【一葉草紙】大正3年(1914)

【一葉草紙】大正3年(1914)
著者    下山京子 著
出版者   玄黄社
出版年月日 大正3
   仲居變装記   p125/187
 私の婦人記者生活は
明治三十九年(1906)の三月より
大正元年(1912)の九月末までで
前後全七年間でした。

私は大阪時事新報に入社後
普通の婦人記者として執筆するかたはら先づ、
『中京行商日記』に第一の變装を試み、
ついで十九の秋
神戸に赴いて
常盤花壇に二回目の變装を致しました。

花壇のお通女お君はんは即ち
婦人記者下山京子でした、
そして京子はまた築地の一葉茶屋の女將お京でした。
私はただ斯う云つて過去の私の生涯の一頁である
このたどたどしい若い筆ぶりの變装記を
茲に再び取出しました。

  兵庫 常盤花壇  p126/187
 一 變装の門出
  ―略―
其他の事は梅田で俥を下りて
一時間餘を汽車に揉まれて
騒々しい三の宮驛へ著いたまで、
殆ど無意識と云つてよい位ゐ。

夫でも汽車が神戸に著(つい)たと思ふと同時に
今迄にない勇氣が胸に漲(みなぎ)つて來て、
何だか俄に蘇生(よみがへ)つたやうな氣がする。
急に足を早めて豫(かね)てから其名を聞及んで居た
神戸名物のさる有名な一婦人を賴つて見やうと
直に其方角へと志した。

 二 當世奴の小萬  p128/187
 漂浪娘(さすらいむすめ)に身を擬(やつ)した私が、
是非自分の一身を賴み込んで見やうと
偶然に思ひ定めた婦人とは
そも如何な筋の人であらうか。

 多くを云はずとも
神戸隨一の女髪結奴の小萬を當世にしたやうな、
義侠者の《伊賀お寅》と云つたら、
東京の故お愛—
大阪のお辰と、
三指に折られる三幅對の大姉御と、
恐らく其名を知らぬ人はあるまいと思ふ。

 大阪の藝妓連がお辰さんの髪を誇り顔なのと同樣に、
苟くも神戸の花柳界に籍を置いて、
《お寅さん》の腕に掛らないやうな藝妓は
藝者の數に這入らないやうに云はれて居る。

此の消息を聞知つて居る私は
@いな口入屋に掛つて此方の目算を外すは未だしも、
如何な拍子で意外の憂目に出逢ふまいものでもない、
殊に土地一流の茶屋にでも這入るには
怎(ど)うしても前の様な手順から往かなければ
先方の商賣がら滅多に油斷はあるまいと思ふ。
  ―略―
 《お寅さん》は女に似氣ない大の野球通で
東京の選手連にも大分顔が賣て居るとは聞いたが、
學生のお店番には場合が場合で
尠からず具合が惡い。
  ―略―

 三 藝者氣質  p130/187
 《お寅さん》は相變らず後姿を見せて仕事に餘念ない。
黄色い聲の賑かな話は彼方此方に起つて
既(も)う私の存在は認められて居ないらしい。
周圍の事情がこんなだから
私もツイ油斷してゐると突然横手から、
『若し貴女、一寸(ちょ)いと』
と優しげな聲がする。
ハツと膽(きも)を潰(つぶ)して向ふを見ると、
何時の間にか廿五六の束髪に
結(ゆつ)た品の好い奥樣風の人が立つてゐて、
『此方でお話をしませう』
と澄(すん)だ東京辯で次の間へ案内された。

丁寧に頭を下げると、
『私は《お寅》の姉ですが
 一體貴女は怎(ど)ういふ譯で―』
※伊賀いせ子[伊賀とら(伊賀治子の姉)]下記詳細
と凛々しい眼附で眤と見詰める。
 四 中檢の名妓おかつ  p133/187
 五 お寅さんと私    p135/187
 六 花壇へ乘込む    p138/187
 七 女將おいそさん   p140/187
 八 奉公はじめ     p142/187
 九 仲居の裏表     p144/187
 十 他人の御飯     p145/187
 十一 丸一の輕業そこのけp148/187
 十二 人氣舞妓の梅若  p149/187
 十三 萩の間の歌留多  p152/187
 十四 中檢の美妓日英  p154/187
 十五 お茶屋の丑滿過ぎ p157/187
 十六 舞妓の樂書    p159/187
 十七 大阪のお客樣   p160/187
 十八 活殺自在の口車  p162/187
 十九 寒い寒い湯女の役 p164/187
 二十 半裸體の美人   p167/187
 二十一 お客樣の強意見 p168/187
 二十二 お君さんの淺黄頭巾 p170-172/187
大正三年一月十七日印刷  一葉草紙
大正三年一月二十日發行  正價九十錢
著 者 下山 京子
發行者 鶴田 久作
    東京市神田區雉子町三十二番地
印刷者 中島藤太郎
    東京市神田區錦町三丁目一番地
印刷所 神田印刷所
    東京市神田區錦町三丁目一番地
發行所 玄 黄 社
    東京市神田區雉子町三十二番地
    電話本局 二〇九番
    振替東京七九九五番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年09月27日 05:15
「伊賀とら」さんのお墓:天王平(綾部市)
[小野雄二]平成30年9月23日
伊賀いせ子[伊賀とら(伊賀治子の姉)]
生 明治8年(1875)前後
歿 昭和10年(1935)10月11日 60歳
伊賀とら(伊賀治子)
生 明治13年(1880)前後
歿 昭和20年(1945)7月31日  65歳
松村正子(伊賀とら 長女)[小野一雄・雄二の伯母]
生 大正3年(1914)1月20日
歿 昭和62年(1987)1月25日  74歳
伊賀光枝(伊賀とら 二女)[松村正子の妹]
生 大正4年(1915)前後
歿 昭和5年(1930)12月15日  15歳
伊賀義男(伊賀とら 長男)
生 大正8年(1919)前後
歿 昭和19年(1944)7月30日  25歳
【大本 松村家代々神霊】を基に作成
平成30年(2018)9月24日
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