《伊賀トラ》奈良県の美容界の先駆者田中直江さん
【女性教養 12月(287)】昭和37年(1962)


【女性教養 12月(287)】1962
出版者   日本女子社会教育会
出版年月日 1962-12
 奈良県の美容界の先駆者
   田中直江さん
 日本美容界の発展の歴史は、つねに、
その時代の政治と社会の動きを反映して、
大きな波のうねり、そのままに日本の女性史、
女性の解放史の一コマを演じてきた
役割の偉大さも興味ふかい。

 かえりみると、明治の日本髪、大正の洋髪
昭和のパーマネントと、
大きな変動の歩みのあとは、
日本の欧米文化吸収の嵐で
忽ち一変してしまった。

 美容界にも東京と大阪のポイントがあり、
互に交流し、刺激し、発展しあったものである。
 明治大正のころの大御所は東京の伊賀トラ女史。

 そこへ大正の初期、
アメリカがえりの山野千枝子女史が丸ビルで開業して、
華やかな洋髪、洋装時代をリードしての十年間、
コテによるウエーヴの新しい黄金時代を謳歌した。

 次に昭和のはじめ、
東京日本橋の旅館の娘がアメリカで結婚し、
ロサンゼルスを中心のアメリカ美容と、
はじめてのパーマネントウエーヴ(永久的の意味)を
日本へ持ち帰ったのが、初代のメイ牛山。
神田に開業し、思いきって銀座の表通りに
七丁目のメガネやの二階に進出したのが、
このハリウッド美容室。
髪に電気をかけるなんぞ怖いとか、
チリチリにやけて丸坊主になるとか、
たいへんな評判のうちに、
日本の美容界はアッというまに、
パーマ一色に圧倒されてしまった。

 勢いにのったハリウッド美容室は、
横浜、静岡、名古屋、大阪、神戸、福岡と
支店を進出させて怒濤のように日本制覇を夢みたが、
やがて牛山夫妻の離婚と
メイ女史の再渡米から再婚、死去。
日本も満州事変から支那事変のひろがりと
日米開戦から敗戦へ。

 戦後はコールドパーマの全盛で、
山野愛子女史の抬頭と
巨大な美容学校の経営の成功。
芸術的技法というか、
センスの名和好子女史、
古くから松坂屋で陣どってた
横浜生れの芝山みよか女史。
日本美容界草分けのひとりの
マリールヰズ女史の養女千葉益子女史。
重鎮の牛山喜久子女史。
女史美術出身の早見君子女史。
着つけでは日本一の腕を誇った
銀座うらの遠藤波津子女史。

 牛山喜久子さんは、
メイ牛山の夫君牛山清人氏の弟の吉二郎夫人。
目白女大中退で、そのころ歌舞伎座近くの
ハリウッド美容学校の卒業生。
ヒノエウマ生れで、きかぬ気の、
パリパリ活躍中のメイ牛山女史の
タフな生活ぶりをそば近く驚嘆してきた一人で、
今日の美容界で、
経歴といい、頭脳、実力ともに
やはり第一人者のカンロクである。

 メイ牛山女史の出現は、
日本の美容界に大きな旋風をまき起した。
当時の読売婦人記者小川好子女史
(現東芝リビングサークル)のバックアップで
新宿に出現したのがマヤ片岡女史。
三越では小口みち子女史のにらみもあり、
大場静子女史、
高山たけ女史など一流が競っていた。

 とにかく、日本の美容界が、
昔ふうの髪結いさんクラスから、
洋行がえりの女史スタイルにまで
向上して拡がりをみせた。

 もっと偉い人もあった。
 山本久栄女史。

 この人は東京の赤坂見附に
「美粧倶楽部」の看板をかかげ、
紀尾井町に美容学校を経営し、
京都に店をもってご大典のおりの
十二ヒトヱやオスベラカシの髪を扱い、
大阪の堺筋の本町に店をかまえて、
東京大阪を忙しく往復し、
いわゆる上流家庭にふかく根をおろした
目ざましい活躍と手腕は、
いまも尚語りぐさをにぎわしている。

 山本久栄女史は伊賀トラさんに学び、
「思いつき夫人」とよばれたほどの
あらゆる新企劃を発表し、
「マガレット」コート
其他のたくさんの作品もある。

 神戸のスズ細野女史もアメリカがえり。
この人に学んだのが名和好子女史。
神戸という異国趣味の町でみがかれたセンスは
香り高く今日の名和女史の名声にうなづかれる。

 大阪の梅本文子女史。
 今日でもミニヨン美容室をもち、
大阪の淀君のような存在。
裕福な有閑夫人が、
子供のない生活のあきたらなさからか、
美容院の開業。
藤原あきさんクラスの
気品たかい美貌の人であった。

   修業時代
 いまの奈良美容界の元老は
タナカ美粧園の田中直江女史。

 東京大阪のこういう美容界の起伏をバックにして
田中直江さんの今日までの歩みをたどってみる。

 直江さんは明治36年生れ。
奈良県山辺郡福住村山田の出身。
父は直次郎、母はテル。
生家は山ふかい農家であったが、
母のテルさんは髪結いもした。

 13才のとき、
奈良市のおはるさんの
門下生として住みこみ修業にスタート。
当時の奈良には三人の髪結いの名手がいて、
おつねさんが元林院の芸妓衆あいて、
おはなさんが町方衆、
おはるさんは芸妓と娼婦が
お客さんに多かった。

 そのころの流行とは、
キモノにしろ、髪形にしろ、
だんぜん芸者さん優勢時代で、
いわばいまの映画スターなみ。

 直江さんは5人姉弟のいちばん上。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2735308/1/16
   両親の教え
   独立から妹たち
   不屈な研究心
https://dl.ndl.go.jp/pid/2735308/1/17
   アメリカ旅行で
   明日の美容師
   信仰に活きる
https://dl.ndl.go.jp/pid/2735308/1/18
昭和三十七年十一月二十日印刷
昭和三十七年十二月 一日發行
    東京都港区芝公園十二号地
    日本女子会館
編集人 古川 八重
発行者 古川 八重
印刷者 松村  保
    東京都港区芝公園十二号地
    日本女子会館
発行所 財団法人 大日本女子社会教育会
    振替東京七四二〇〇番
    電話 芝(431)六八九二番 三七〇番
https://dl.ndl.go.jp/pid/2735308/1/26
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