《幣原 操》
二十八歳にして未亡人となり、二人の女兒を敎養し
【日本婦人の鑑】昭和9年

夫  文二(養子)
    [大阪高等医学校(現大阪大学医学部)卒業]
   歿:明治39年頃
長女  倭(夫 土屋 格)
二女 康子(夫 本多正道)
二女:康子(本多正道の妻)の二男
   映智(幣原節の養子となる)

【日本婦人の鑑】昭和9年
著者    婦人評論社 編
出版者   婦人評論社
出版年月日 昭和9
  幣原 操
   大阪府北河内郡門眞村
明治十一年現住所に生る、
長兄は文學博士幣原坦氏、
次兄は外務大臣幣原喜重郎男なり、
大阪梅花女學校に學び、
二十一歳の時産婆學を研究し
免許狀を受く、
されど實際職として働きしは
極めて暫時なり
敬虔なる基督敎信者にして
二十八歳にして未亡人となり、
 ※夫:幣原文二(養子)
二人の女兒を敎養し、
長女は日本女子大學出身にて
 ※長女:倭
京都大學敎授土屋格氏に嫁し、

次女は奈良女子高等師範を出で
 ※二女:康子(本多正道の妻)の
     二男 映智(幣原節の養子となる)
目下自宅に在り、
女史は人のため世のため
獻身的の努力を捧ぐるを以て趣味となし、
天職となす、
矯風會理事、
ヨハネ敎會委員たる外に、
近郷六ケ村聯合婦人法話會支部長、
同聯合日曜學校校長たり
該聯合會は佛敎信者を以て主體とする會なるも
推されて會長となる、
超宗派的なる處
女史の崇高なる人格の然らしむる處なり。
 p688【日本婦人の鑑】昭和9年
〔画像〕p688【日本婦人の鑑】昭和9年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1235521/1/688
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【官報 1914年12月21日】大正3年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 大正3年
 〇法人登記
一 財團法人 大阪婦人ホーム
  大正三年十二月十二日
  大阪府北河内郡門眞村大字門眞百十番屋敷
  幣原 操 理事ニ就任
右大正三年十二月十五日登記
  大阪區裁判所
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年08月04日 08:15
明治35年[第一回]医術開業試験:
後期試験合格者(35名)名簿【官報】5677
なにわ人物伝 -光彩を放つ-
幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)(1)
門真出身の総理大臣
2008/02/02
幣原  操-明治十一年生まれ。
養子 文二
[大阪高等医学校(現大阪大学医学部)卒業]
門真で「幣原医院」を開き、
地域の医療に力を入れた。
しかし夫 文二が早世。
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