由利郡鳥海村出身の
三船末吉さん(六〇)しげさん(五四)夫婦の一家
【世界を旅して:外から見た日本】1960
【世界を旅して:外から見た日本】1960
著者 沢石謙 著
出版者 秋田魁新報社
出版年月日 1960
Ⅰ 空から見た中南米
時速五〇〇キロで
五月十四日午後ロサンゼルス空港から、
ブラジルのリーアル航空四発機で、
サンパウロへ向けて飛ぶ。
途中、メキシコシティ、パナマ、
ボゴタ(コロンビア)マナウス(ブラジル)の
四空港へ降りてそれぞれ一時間前後、
給油のため休む。
時速平均五〇〇キロで飛んでいるのだが、
いちどジェット機のスピードになじめば、
四発の一流機も鈍行の感じ。
空の奥羽線というところだ。
サンパウロへ着いたのは、十六日午前二時。
足かけ三日約三十時間を飛びつづけたことになる。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982222/1/19
Ⅱ サンパウロ
ブラジルのサンパウロ市に十六日着いた
小畑知事、中田県会議長一行を歓迎する
在ブラジル秋田県人会の歓迎会が、十六日の夜、
邦字紙パウリスタ社の三階サロンで、
県人百人あまりが出席して盛大に行われた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982222/1/20
望郷の思いは、
コロニストにとっては、
胸中ふかく蔵すべきもので、
生活のうえに、具現し得ないものである。
それだけにいっそうつらい思いである、といえよう。
スザノ地区でたずねた由利郡鳥海村出身の
三船末吉さん(六〇)しげさん(五四)夫婦の一家も、
やはり望郷三十年の思いに生きている人たちだが、
これを克服して、
みごとにブラジル社会に融合している家族でもある。
七人の子だくさんだが、
移住者の家族には、九人ないし十人前後はざらである。
末娘のやす子さんは十七歳で中学の二年生。
ブラジルでは、中学の年齢は、マチマチだ。
ひとり日本人だけではない。
やはり生活が安定するまでは、
学校にやるひまがない、
というのが現実であるからだ。
しかしそれでも日本人移住者子弟の教育率は、
ブラジルのあらゆる人種のうちで最高である。
ところで、このやす子さん、
「こんにちは、よくいらっしゃいました」が、
いかにもたどたどしい。
兄さんたちも、まずまず、
ポルトガル語はとてもうまい。
ことばも風俗も、日本のものから、
完全にはなれて、ブラジルの国にとけ込んでいる。
これは三船さん夫妻の、不干渉主義のためである。
子どもはブラジルの子どもだという考え方だ。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982222/1/27
しかし、三船さんの客間正面には
天皇、皇后両陛下と皇太子の写真が、
かざられている。
皇太子の写真は、
生まれたときの白い産着のときのもの。
主婦之友、キング、講談倶楽部などの雑誌も、
戦前のものだ。
望郷の思いは胸の中に、
古くそしてつねに鮮明に蔵され、
現実の生活は日々新しく、繰り返されてゆく。
これがコロニストの生きる道であろう。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982222/1/28
世界を旅して
昭和35年8月15日発行 ¥200
著 者 沢石 謙
秋田市大町1-14
発行者 秋田魁新報社
秋田市中谷地町4
印刷者 秋田活版印刷株式会社
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982222/1/111
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【サンパウロ四百年祭】1957
出版者 聖市四百年祭典日本人協力会
出版年月日 1957
◎スザノ駅管内……一八区域 p177-178/330
中央日本人会地区 扱者 岡部清三
各一〇〇鉘宛 三船末吉
https://dl.ndl.go.jp/pid/3443166/1/178
1957年5月10日印刷
1957年5月15日発行
サンパウロ四百年祭
発行者 聖市四百年祭典日本人協力会
サンパウロ市・プラッサ・ダ・リベルダーデ90番6階
サンパウロ日本文化協会内
印刷所 日本写真印刷株式会社
京都市中京区壬生花井町三番地
https://dl.ndl.go.jp/pid/3443166/1/327
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年03月17日 12:52
《三好竹三郎 二〇〇鉘》コチア産業組合扱地区 友愛会扱地区
【サンパウロ四百年祭】昭和32年(1957)
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