《西郷菊次郎 宜蘭廰長》
宜蘭濁水溪・西郷堤防・憲德政碑
【皇国新地誌:教育資料 3 (台湾・南洋)】昭和14年
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年08月03日
西郷菊次郎:宜蘭設治紀念館(台湾):
小野雄二撮影2019/07/27
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初代宜蘭庁長・西郷菊次郎愛用の掛け時計
ひ孫女性が県史館に寄贈
ひ孫女性が県史館に寄贈
2019年06月12日 | 台湾ニュース
(宜蘭 10日 中央社)日本統治時代に宜蘭庁(現宜蘭県)の
初代庁長を務めた
西鄉菊次郎のひ孫に当たる諫山尚子さんが9日、
宜蘭県史館を訪れ、菊次郎愛用の掛け時計を同館に寄贈した。
諫山さんは、菊次郎が愛した宜蘭の土地に掛け時計が
いつまでも残されるように願った。
同館によれば、掛け時計は菊次郎が米国に留学していた
1887年から1890年の間に購入したものだという。
諫山さんは、3年前に亡くなった母親が
菊次郎の掛け時計を宜蘭に贈ることを望んでいたと明かし、
寄贈は母親の生前の願いを叶えることにもなると話した。
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【皇国新地誌:教育資料 3 (台湾・南洋)】昭和14年
著者 北垣恭次郎 著
出版者 明治図書
出版年月日 昭和14(1939)
宜蘭濁水溪 は南湖大山の北西麓地方に發源して
先づ北東に向ひ、
宜蘭平野に下るや、
本流は東方に、
派流宜蘭河は宜蘭街方面に流れる。
本、派
兩派共に一時は數多の派流を分岐するが、
下るに從つて各々一流に収容し、
更に東港に至つて相合し、
直ちに太平洋に注ぐ。
本流の長さは凡そ十六里餘(六五粁二)。
灌漑にも、發電にも利用せられる
重要な川であるが
(天送埤に水力發電所がある)、
洪水の害も少くない。
宜蘭河の右岸に沿へる宜蘭街の如くも、
洪水の場合には浸水に惱まされた處であるが、
明治三十四年(1901)九月竣工の
西郷堤防と其の延長工事によつて、
其の害を免れることが出來るやうになつた。
西郷堤防は時の宜蘭廰長
西郷菊次郎
(昭和三年(1928)十一月二十七日卒す)
の計畫に成るもので、
其の長さは約一粁六九八米
卽ち十五町三十四間(工費四〇九六九圓)。
之によつて
同街は殆んど浸水を免れることが出來た爲、
街民は之を德とし、
大正十三年(1924)堤上に
憲德政碑といふ記念碑を建てた。
其の後大正十五年(1926)同堤の上流に
長さ約七五九米(六町五十八間)、
下流に約一粁二七一米(十一町四十間)の
延長工事(工費三萬圓)が施行せられた爲、
同街は全く水害を防ぐことが出來た。
併し宜蘭平野全部の水害を防止する爲には、
更に大規模の治水工事を施さなければならなかつた。
そこで臺灣總督府は、
其の直營事業として、
根本的の治水工事を施すことゝした。
其の工事は昭和四年度の起工で、
昭和十一年度(1936)完成したのであるが
(工費約四百四十六萬圓)、
派流宜蘭河を締切り、
幹川を整理して
延長約四四粁(約十一里)の
堤防を築いたのである。
其の受益面積は一萬一千餘甲で、
農産物の年增収價額は
約五十萬圓を下らないのである。
大濁水溪はパトツノフ山及び
南湖大山方面の諸溪流を集め、
南東に流れて海に注げる川で、
長さは凡そ十一里餘(約四五粁九)。
其の下流は臺北州と花蓮港廰との
界(さかい)になつて居る。
昭和十四年十月二十日初版印刷
昭和十四年十月廿五日初版發行
敎育資料 皇國新地誌 臺灣・南洋
定價 金貳圓九拾錢
著作者 北垣恭次郎
發行者 藤原惣太郎
東京市京橋區入船町三丁目三番地
印刷者 芦田 數夫
東京市京橋區入船町三丁目五番地
發行所 明治圖書株式會社
東京市京橋區入船町三丁目三番地
振替東京一八五一三番
大賣捌所 東 京 林平書店 東京堂
北隆館 東海堂
文林堂 文盛堂
大 阪 合志會社 柳原書店
名古屋 川瀨書店
久留米 菊竹金文堂
福 岡 大坪惇信堂
金 澤 宇都宮書店
長 岡 覺張書店
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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日華(台)親善友好慰霊訪問団
西郷廳憲徳政碑
住所 宜蘭縣宜蘭市西門外 宜蘭河畔堤防上
当初訪問日 平成30年11月26日(2018年)
エピソード - 西郷隆盛の子・菊次郎の「郡守徳政碑」
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台湾を変えた日本人シリーズ:
宜蘭を救った西郷隆盛の長男・西郷菊次郎
文化 2017.11.26 古川 勝三 【Profile】
米国留学から台湾へ
常に持ち続けた父・西郷隆盛の教え
〔写真〕施工時の「西郷堤防」(提供:古川 勝三)
戦後も地元住民に愛されている
『西郷庁憲徳政碑』
〔写真〕「西郷堤防」に移築された石碑(提供:古川 勝三)
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明治18年(1885)、留学先の米国で撮影
南海日日新聞 5/9(火) 13:01配信
明治18年(1885)に米国ワシントンで撮影された
青年期の西郷菊次郎らが写る写真。
右から菊次郎、三崎亀之助(推定)、
隆準、九鬼隆一、寅太郎
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年07月05日
〔写真〕[開拓使海外派遣留学生]
米・仏・露国に派遣された15人の留学生と監督の大鳥圭介:
明治5年2月 (1872年2月)
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