《鳩居堂の息で熊谷平三郞》
會津の小鐵に家業を一任された
[寺子屋時代の友 山田茂助]
【大沢善助翁】昭和4年
【大沢善助翁】昭和4年
出版者 大沢善助翁功績記念会
出版年月日 昭和4
大澤さんの幼年時代
寺子屋時代の友 山田茂助
大澤さんとは幼年時代、
麩屋町姉小路上る島田といふ寺子屋に
毎日共に通ひました。
其の當時私は十一歳、
大澤さんは確か十三歳だつたと覺えて居ます。
十五六歳の時、
維新當時有名な大垣家に養子に行かれたのですが、
それまでは駒井松之助と云つて居られました。
養家先きである大澤家の本宅(大垣家)は
富小路丸太町下ル處に在つて、
人入れ稼業として非常な勢力があり、
會津の小鐵などは子分でありましたが、
養父である先代が眼を患ふて遂に失明され、
會津の小鐵に家業を一任されたと聞いて居ます。
斯うした家庭で成長された丈けに、
子供の時から膽力があり、
利かぬ氣の人で、
喧嘩をしても決して負けない、
歳も上であり、
腕力も強い者と爭つて、
假令押さへつけられても、
決して悲鳴を揚げない
其の膽と氣には、
對手の子供が却つて泣き出すといふ有樣で、
いつの程にか、
一方の旗頭として號令されて居ました。
鳩居堂の息で熊谷平三郞と呼ぶ子供が非常な腕白者で、
たえず歳下の子供を苦しめ、
https://dl.ndl.go.jp/pid/1057970/1/236
腕力も子供に似合はしからず強かつたので、
誰しも子供心にも癪にさはつてならぬのだが、
其の腕力に恐れをなして、
之れに對抗するものがないのをよいことにして、
傍若無人の振舞を續けて居た。
一日歳下の子供を捉へて
亂暴をして居るのを見た大澤さんが、
進んで之れに對抗し、
結局對手を慴伏せしめられました。
それから以後非常に其の子供が溫和しくなつて、
一同が助かつたことを覺えて居ます。
斯ういふ風で、
幼年時代から任侠的氣風、
謂はゞ親分的な處があり、
世人から前途を囑目されて居られましたが、
維新の改革と共に家業の衰運は是非もなく、
二十二三歳頃には寺町通り丸太町下ル處で、
小さな道具屋を營んで居られました。
斯やうに大澤さんの靑年時代は、
文字通りの奮闘力行時代だつたのです。
それが新島先生によつて導かれ、
熱心眞摯な基督敎徒となられて以來、
精神的に強い固い信念がお出來になつて、
一歩々々地位を築いて行かれたので、
大澤さんの今日あるは、
決して偶然ではないと信じて居ます。
情誼に厚い方で、
今日でも幼年時代のことを忘れないで、
始終遊びに來るやうにと云つて頂いて居るのは、
非常に嬉しく存じて居ります。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1057970/1/237
昭和四年十一月十三日印刷
昭和四年十一月十八日發行 (非賣品)
編輯兼 三浦 豐二
發行者 京都市上京區新烏丸通荒神口下ル
新烏丸頭町百四十八番地
印刷者 須磨勘兵衞
京都市下京區北小路通新町西入
印刷所 内外出版印刷株式會社
京都市下京區西洞院通七條南入
發行所 大澤善助翁功績記念會
京都市下京區西洞院三哲南
https://dl.ndl.go.jp/pid/1057970/1/396
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月08日10:55
[本官勘合帳 外国官一号]
原本:第379号 戸田欽吾~第438号 岩男俊貞
旅券番号 第396号 伊井 直助 p067
西京為替会社
河邊九郎三郎 手代
旅券番号 第397号 熊谷平三郎 p068
西京為替会社
熊谷久右衛門 忰
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