《鈴木國藏》故參移民の奉納せる嚴島神社の石燈籠
【母国見学記念誌】昭和4年(1929)

【母国見学記念誌】昭和4年(1929)
著者    布哇仏教青年会 編
出版者   布哇仏教青年会
出版年月日 昭和4
  二、故參移民の奉納せる嚴島神社の石燈籠
昨夏七月十七日
我が見學團が嚴島神社に參詣せし時、
計らずも我等に關係ある御影石の大燈籠一對を發見せり。
それには布哇島ヒロ鈴木國藏の奉納といふ銘あり。
我が見學團に因緣あるを以てこゝに紹介す。

抑も故鈴木國藏氏は私も相知の人なるが、
故參の在住者間には元年者として、
成功者として知られ居たり。

同氏は明治元年に外國人の計劃による
帆船サイト號に殆んど奴隷の如くにして
布哇に携れ行かれし
最古の日本人移民百五十三名中の一人なり。

故に上陸後數年勞働に從事せしと雖も
明治二十年頃には布哇島ヒロ市に獨立店舗を開き
白人間にも最も信用厚く
元年者隨一の成功者なりしなり。

目に一丁字なかりしも常に日本魂を失はず、
白人に對してもお世辭を使はず、
一歩も譲らず、
日本人たる事を誇として居れり。

その妻君はポルトガルの婦人なりしが、
子女も舉げし仲なれども、
明治二十七年の日淸戰爭の當時、
その妻君が日本は支那に負けんと放言しけるに、
氏は憤然として鐵拳を見舞へりと云ふ。

明治四十年頃布哇を引揚て歸朝し、
東京向島に邸宅を構へ老後を養ひ、
諸所遊歷せしが、
此燈籠もその頃奉納せしものならん、
大正三年頃七十餘歳に達し
終に東京にて逝去せられたり。

我が見學團と共に此燈籠に對して、
國藏老在住の昔と今日の發達を比するに
實に雲泥の差あり、
然るに六十一年前に移住したる故人は
此記念を内地の名所に遺せり、
今その事なし、
遺憾の至と謂ふべし。
p24【母国見学記念誌】昭和4年(1929)
〔画像〕p24【母国見学記念誌】昭和4年(1929)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1077781/1/24
昭和四年十二月十五日印刷
昭和四年十二月二十日發行
編輯兼發行者 布哇佛敎靑年會
       米領布哇ホノルル・フオート街
右代表者   高桑 與市
       東京市京橋區東港町一丁目二十六
印刷所    精興社
       東京市神田區錦町三丁目十七
印刷者    白井赫太郎
       東京市神田區錦町三丁目十七
https://dl.ndl.go.jp/pid/1077781/1/65
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