《松村守一:経理》平生釟三郎と川崎造船所
【企業拡大の着眼点:巨像へのマネジメント】1965
【企業拡大の着眼点:巨像へのマネジメント】1965
著者 小林宏 著
出版者 実業之日本社
出版年月日 1965
平生釟三郎と川崎造船所 p27-33/170
松方幸次郎の退場
昭和三年五月二十六日、
当時川崎造船所(現在の川崎重工の前身)の
松方幸次郎社長は、
臨時株主総会において、
声涙ともにくだる悲痛な
社長辞職の挨拶を行なった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3016075/1/27
ワンマン松方の夢と悲劇
https://dl.ndl.go.jp/pid/3016075/1/28
ピンチ・ヒッター平生釟三郎
鹿島社長急死のあとをうけて、
昭和八年三月、三代目社長に就任したのは、
平生釟三郎であった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3016075/1/29
再建はウィーク・ポイントの補強から
まず平生は、川崎造船所はつぎの三つの点が
致命的な欠陥であるとして、
その早急な改善対策をたてた。
三つの欠陥とは、
一 資金操作が、へたであること
二 営業が弱くて、へたであること
三 工場管理が、へたであること
https://dl.ndl.go.jp/pid/3016075/1/30
さて、平生は、右のような方針をかかげて、
川崎の再建にとりかかったが、
肝心の夫子みずから、
この方面にはとんと未経験であって、
手のくだしようがない。
そこで、考えた手は、
右の三つの欠点を解決するに
ふさわしい人材を
どこかから見つけてきて、
彼らにそれをやらせることであった。
まず、
第一銀行の神戸支店長をしていた
第一銀行の神戸支店長をしていた
松村守一に目をつけ、
これを引き抜いて、
会社の経理をまかせることにした。
つぎに、当時海運界にくわしく、
営業肌の鋳谷正輔(専務)に営業の全部をまかせた。
最後に、海軍機関中将で
当時この途でのホープといわれていた
吉岡保貞を引き抜いて、
これに工場管理のいっさいをまかせた。
この吉岡のコネによって、
佐世保海軍工廠から海軍少将久原福松、
大野俊彦の二人が入り、
久原が総務を担当し、
大野が労務を担当することになった。
すなわち
平生 経理……松村
営業……鋳谷
管理……吉岡…久原(総務)
…大野(労務)
という平生内閣が誕生した。
松村は識見豊富、
おまけに第一銀行と強いつながりがある。
金の途を絶たれた川崎が生きるための命綱でもあり、
資金に弱い川崎のマネジメントの筋金でもあった。
鋳谷は小柄、悠揚。
高等教育こそうけていなかったが、
全身これ機智のかたまり、
寸言人の心をとらえる不思議な魅力の持ち主。
おまけに、海運界のうらおもてに明るく、
営業の親分として、
うってつけの人物である
(のちに四代目社長となる)。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3016075/1/31
ヴェテランをつかいこなした素人社長
https://dl.ndl.go.jp/pid/3016075/1/32
松方と平生のこのまったく異なったタイプの、
二人の名経営者の残した教訓を、
今さらのようにかみしめているのである。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3016075/1/33
著者紹介 大正12年8月、鹿児島に生まれる
昭和18年、東京外語大学スペイン語科を卒業
小林 宏/ ¥470
企業拡大の着眼点 巨象のマネジメント
昭和40年5月15日 初版発行
発行者/増田 義彦
発行所/株式会社 実業之日本社
本社/東京都中央区銀座西1の3
電話(561)5121 振替 東京326
関西支局/大阪市北区真砂町53 書協ビル内
電話 大阪(312)4706
印刷/壮光舎印刷(本文)・小倉印刷(表紙・カヴァー)
製本/共文堂
https://dl.ndl.go.jp/pid/3016075/1/167
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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―大阪商船、山下汽船による株式肩代りと
川崎造船所の対応―
柴 孝夫
本稿作成にあたっては p32/33
帝京大学の田付茉莉子助教授に
貴重なご助言をいただいた。
また川崎重工業株式会社、
大阪商船三井船舶株式会社の
所蔵資料の閲覧には関係各位に便宜をはかっていただいた。
末尾ながら記して感謝の意を表します。
(京都産業大学)
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