【燦たり矣三重の光】1940.6
著者    鯉江長明 編纂
出版者   三重縣編纂協會
出版年月日 1940.6
[高砂病院] 詩の國志摩の誇り
志摩郡民に濟生保健の光明を点じた
醫療機關”高砂病院“の開院は
大正十五年十月であり
從來交通不便で諸般の施設に遅れ
文化の惠澤に乏しかつた
同地方一帶に隨喜の涙を以て迎へられた。
此の意味に於て大衆の病患治療に着目した。
現社長   向井長治郎氏を初め
專務取締役 羽里才之助、
取締役   中西秋平、
同     山崎治郎右衛門、
同     松村梅太郎、
監査役   松葉才助、
同     中川和夫氏らの功績は
永世に感謝されることゝ思ふ。
殊に同病院は歷代院長に
手腕人格兼備の人物を据え
初代 野坂綱夫博士に續き
上野直博士、三谷萬一郎博士を經て
現院長 醫學博士 眞田英一氏の
就任を見たのをはじめ
産科婦人部長に小林功一博士、
外科部長に三好爲一博士
また醫員に新進大阪醫學士 大野富士郎氏
其他レントゲン科など
人的陣容完備し
五棟五十室、
収容人員八十名の堂々たる偉容を誇つてゐる。

附設事業に縣指定看護婦養成所あり。
附近町村の組合組織による
隔離病舎併置の議も纏まるなど
寔(まこと)に賴母しいものである。
事務長 大西直次郎氏は創立以來現職に就き
恪勤精勵、
院の内外に好評を博しつゝある。
(寫眞 病院及事務長)
p220【燦たり矣三重の光】1940.6
〔画像〕p220【燦たり矣三重の光】1940.6
https://dl.ndl.go.jp/pid/3460565/1/220
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