【閨秀画家経歴談】明治34年(1901)8月
著者    速水不染 編
出版者   東洋社
出版年月日 明34.8
 口繪寫眞版
p12【閨秀画家経歴談】明治34年
 野口小蘋女子 武村耕靄(たけむら こうあい)女史
〔画像〕p12【閨秀画家経歴談】明治34年
https://dl.ndl.go.jp/pid/850412/1/12

 武村耕靄女史畫
p4【閨秀画家経歴談】明治34年
〔画像〕p4【閨秀画家経歴談】明治34年
https://dl.ndl.go.jp/pid/850412/1/4

  武村耕靄女史(南北合宗派)p22-45/112
https://dl.ndl.go.jp/pid/850412/1/22
其頃(明治4年)
或る人は
今度東京に英和女學校を設立する積であるから、
横濱に行つて修業して、
卒業して東京に歸つて、
其學校の敎員となつては如何であらう、
とのことで。
私は其以前(そのまへ)から、
英語を勉強したいとの念を
熾(さかん)に御座いましたけれども、
思ふやうに行きませんでしたから、
其まゝになつてゐますと、
這歷(こん)な場合になりましたから、
其れは勿氣(もつけ)もない好都合、
其れなら私は今から、
英語を研究して敎員になりませう。

畫の方だつてもまだ未熟の上に、
美術家などは種々(いろいろ)不都合が御座いまして、
到底(とても)まだ一家をなす程の技量(ちから)も
御座いませんからと、
決心致しまして、

横濱に參り、
山手の共立女學校に通學はしてゐましたものゝ、
其發起人は都合がありまして、
學校設立のことを中止しましたから、
また東京に歸りまして、
或人のお世話で其頃築地にゐました
米國人の女敎師パーク氏の宅に
行くことになりました。
イヽエ
これは畫の敎員として參りました譯では
御座いません。
たゞ英語と日本語とを交換致しまして、
互に便利を計りましたので。 p28/112
p27【閨秀画家経歴談】明治34年
〔画像〕p27【閨秀画家経歴談】明治34年
https://dl.ndl.go.jp/pid/850412/1/27

私は米國人にも、英人にも、獨逸人にも、
畫を敎へましたことが御座いますが、
西洋人などは何(ど)うも
紙などは大切に致しまして、
經濟は巧く御座いますねえ、
繪の具なども決して麁(そ)末には致しませんよ。

女學校などに參りますと、
半分しか描(か)かない紙などか、
反古になつたりなんかしてゐますけれども、

西洋人は皆、
隅から隅まで綺麗に手習をして、
また日本人などは始めから、
良い繪の具や紙などを望みます癖が御座いますが、
西洋人には決して、
其@なことはありませんでしたねえ。

アヽ左樣ですか、
あなたは昨年銚子に被爲(いら)つしやいましたか、
私は一昨
https://dl.ndl.go.jp/pid/850412/1/44
年參りましたよ、
良う御座いますねえ、
犬吠岬の月夜の景など、
油繪に描きましたなら
定めて結構で御座いませうねえ。
 住所 東京市小石川區竹早町十九番地
https://dl.ndl.go.jp/pid/850412/1/45
明治三十四年八月廿二日印刷 閨秀畫家經歷談
明治三十四年八月廿六日發行 定價貳拾五錢
編輯者 速水不染
發行者 石川正作
    東京市神田區鎌倉町三番地
印刷者 田波省三
    東京市京橋區日吉町十番地
印刷所 近藤商店
    東京市京橋區日吉町十番地
發行所 東洋社
    東京市神田區鎌倉町三番地
https://dl.ndl.go.jp/pid/850412/1/103
〇理科大學 牧野富太郎先生撰定
◎植物敎授用標本
一 果實種子之部 壜入説明書附
         定價 甲(六十種) 金拾四圓
            乙(四十五種)金拾壹圓
            丙(三十種) 金 八圓
二 竹林之部   長七寸三十種
         説明書附箱入
         定價 金六圓
https://dl.ndl.go.jp/pid/850412/1/106
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