下記内容のはがきが送られてきた。
費用は約50万円
「こんなの来たよ」って、母に手渡す。
当日かどうか覚えていないが、
母より、「行って来たら」と唐突な話があった。
50万円は当時の小野家にとっては巨額の金額に感じた。
前年、父を亡くし、
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
小野又一 納骨 昭和47年(1972) 衣笠墓苑
小野又一 大正5年(1916)7月11日 生
父 昭和47年(1972)1月31日 歿 56歳
母はノートルダムで働いていたとはいえ、
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《小野文子》ノートルダム女学院副舎監:
昭和49年(1974)頃
昭和49年(1974)頃
昭和48年(1973)~昭和50年(1975)
ノートルダム女学院 寄宿舎 副舎監
「本当にいいの?」というのが正直な感想だった。
折角の母の勧めだったので、ありがたく受け取った。
当時海外旅行は気軽なものではなかった。
大陸生まれの母の度量の結果だったのでは
ないかと思っている。
ないかと思っている。
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
小野文子:略歴
大正10年(1921)6月5日生
支那奉天省営口綏定門第15号海関官舎
昭和5年(1930)~
大連市山縣通205番地 海関官舎
昭和9年(1934)~
大連市光風台53 (現)大連市西崗区民主街19
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
小野文子(旧姓 小川)大連光風台《小川清秀邸》
昭和17年前後
昭和17年前後
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
1973年(昭和48)3月10日~30日、21日間の
ヨーロッパ学生旅行(企業視察研修)
主催:日通航空
旅行費用:50万円
参加校:近畿大学、京都工繊大、その他関東の大学
東京発(羽田)➡マニラ➡バンコク➡デリー➡
ベイルート➡ローマ➡(バス)……(英仏トンネル)
➡ロンドン➡アンカレッジ➡羽田
※本来のスケジュールでは
「アテネ」が含まれていたが、
KLM機長の体調不良で、
オランダから機長を呼び寄せたため大幅にディレイ、
そのために、アテネはカット。
訪問企業:
オリベッティ(イタリア)、ルノー(フランス)、
オリベッティ(イタリア)、ルノー(フランス)、
クルップ(ドイツ)、フィリップス(オランダ)、
BAC(イギリス) ※BACはコンコルド製造
世界感が変わった第一歩だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
PDF <写真>51枚
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[小野梓:明治5年2月18日
飛脚船「アメリカ」横浜港出帆]01~05
※明治5年2月18日(1872年3月26日)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇