【臨牀歯科 (317)】1986-06
著者    臨牀歯科社 [編]
出版者   臨牀歯科社
出版年月日 1986-06
p1【臨牀歯科 (317)】1986-06
〔画像〕p1【臨牀歯科 (317)】1986-06
https://dl.ndl.go.jp/pid/1780386/1/1
  医・歯 一元か二元か
   重松良説の時代
現在、大阪府歯科医師会会員名簿には、
堺市、重松雅人先生、
南區、重松成一郎先生の名まえが載っている。
奥野喜一本会会長と重松成一郎先生とは
ご兄弟といううわさも聞いている。
重松姓は、大阪の歯科界において
陽の当たる位置にある。

ところで、大正2年の『大阪現代人名辞典』
(大阪府立中之島図書館、郷土資料室備付資料)に、
医師、重松良説を立志伝中の偉人として
紹介している。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1780386/1/20
 重松良説君(医師)
“君は大分県の人、重松元貞の三男にして、
明治3年2月23日を以て生る。
其祖は新田家の末流にして
福岡県築上郡下垂水村に住せしが、後、
大分県下毛郡中津町出でて
代々眼科医を業とせり、
君、(明治)18年、
中津中学校を3年にして退学し、
故大久保麑山に就いて漢籍を学ぶ。
明治21年大阪に出で、
普通医術を修業せんと志せしも、
家計の都合にて歯科医に志を転じ、
堺市開業歯科医轟氏に就て
学説実地を攻究するかたわら、
東京、高山歯科医学院院外生徒として学説を究め、
明治26年第2回内務省歯科医術開業試験に及第し、
明治29年初めて現在の地に門戸を張れり。
妻をルイと言い、
一子貞雄は市岡中学に通学せり。
(大阪、西、九条通1の85、電西3384番)“
このように誌されている。
この時代には一般に歯科医を医師のなかの
専門科として心得てうたにちがいない。
現に大阪府統計にも、
歯科は医師の大わくのなかに組込んで、
置かれている。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1780386/1/21
臨牀歯科 No.317(発行予定月1・4・7・10)
1部 ¥   600(送料別)
年間 ¥3,000(送料共)
昭和61年6月30日発行
編集発行・津下敏夫
京都・西七条石井町29
発行所  臨牀歯科社
京都・蛸薬師・堺町東
振替京都7-25583
電話313-5811
https://dl.ndl.go.jp/pid/1780386/1/22
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